古建築リスト:平安時代末まで59棟。 西岡常一「桧は1000年もつ」の為に。

日本の古建築

「木造だから1000年持つ、コンクリートは100年しかもたない。」と名古屋城木造天守を復元したい皆さんは、西岡棟梁のお話「樹齢千年の桧の寿命は千年」法隆寺を支えた木、1978年NHK出版を捻じ曲げて使います。わざと間違えて吹き込む河村市長がいけないのですが、古建築リストを作って、1000年もったのは「木造だから」でないことを示します。
法隆寺は1300年もっているのは事実ですが、京都では応仁の乱以前の建物は、郊外にあった三十三間堂と千本釈迦堂でしか建物は残っていません。「木造だから」1000年もったのではないです。「聖徳太子信仰」が法隆寺をささえ、400年毎に解体修理をし、また燃えても再建をしたのでした。
大阪の四天王寺は、何度も雷で燃えるので、ついに燃えないようにコンクリートにしました。大坂城天守はコンクリートで昭和6年に作られたので残り、名古屋城天守は400年前の木造でしたので空襲で燃えました。

わかった事 4つ

①頭に浮かぶのは、当然私が見たものですので、地方の小さな仏堂を実際には見ていなくて落としており、平安の方が3棟多かったのでした。

②法隆寺だけが、飛びぬけて古くて、かつ凄い量だということ。聖徳太子信仰は、仏教の宗派を問わずされ、また、飛び地にあったので戦火にもあわなかったのですが、里の人々の守りも強かったのです。鎌倉時代以降の重要文化財も多くあります。

③神社に古いものは残っていないこと。建物が小さいし、中に人ははいりませんでしたから、建築でなく、厨子の大きなもののイメージで移築も多かったでしょう。

このリストでは御上神社拝殿が一番古いですが、宇治上神社本殿(正面一間の流造の内殿3棟を並立させ,それを流造の覆屋根で覆った特殊な形式)を最古だともあります。どちらも、鎌倉時代の増改築が強く出ており、平安のものとは私には見えません。神社は平安時代のが残っていたしても一つか二つです。
持統天皇の頃に、伊勢神宮が形式を整えているので、古式の文化を伝えるのは、20年毎に新品となる伊勢神宮でしょう。

④よく「木造は1000年もつ。」と言う素人がいます。言った西岡棟梁もそういう意味で言ったのでない。と、怒ってますよ。人が入らない神聖な所であり、100年に一度は野地板などの雨漏り修理をしているからもっているです。

燈明で、人の手では火事にはなりません。法隆寺金堂も首里城もノートルダム大聖堂も火事の原因は電気でした。
鎌倉・江戸・昭和と、こうして表にしてみると、400年ごとにばらして、柱を削って繋いでいることもわかります。

このくらいの数なら、皆さんも発起すれば見てまわれましょう。ガンバ。(^^♪

城マニア、城フェチの間違い「木造は千年もつ」

1000年残っているのは、法隆寺、法起寺、薬師寺、唐招提寺、東大寺、醍醐寺、浄瑠璃寺の 6つしかないです。森の中に離れてあったので、延焼、雷にあわなかったのでした。

この頃は、近くの山から檜の大材が取れたのですが、昨年復元なった興福寺金堂の柱など、カメルーンの欅なんですから、もう、大材を使う木造復元はやめるべきです。中国も、紀元前5世紀から9世紀までで、デカイ木造建築は無くなりました。材木を取りつくしたのです。

河村市長一派のただ「面白いぞ!」で500億円木造天守を作っても、5年もすれば飽きられます。「聖徳太子信仰」に匹敵する心など、城マニア、城フェチにはありません。史跡の上に復元なった150億円の本丸御殿も一度行けばもう行きません。

それより、天守博物館として刷新し、2か月ごとに企画展をする、大阪城天守閣博物館を真似ることです。現在に残るコンクリート天守を「戦後復興のシンボル」文化財として活用しましょう。400年前から、天守は都市のシンボルとしてあったのでした。名古屋の都市史を語るにこれほどよい博物館はありません。

コンクリートはローマ時代からあり、ローマでは二千年もっていますが、現代のは鉄筋コンクリートですので、鉄筋がさびるとダメになります。

しかし、クラックをふさぎ鉄筋を錆びさせない事で寿命が伸ばせられます。じっさい国交省は100年経た橋、道路でやっています。名古屋市の市庁舎も重要文化財となり永久保存ですので、コンクリートのメンテをしています。

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