地震に耐える(耐震)とは

地震に耐える(耐震)とは

2024年元旦、能登に大きな地震が発生しました。熊本地震後、2016年に私がフェイスブックのノートに書いた「耐震とは=震度7と耐震設計」を、こちらのブログにもってきます。
大変長いので、以下の要約した前段だけをまずはお読みください。次に、その下に「目次」がありますので、気になった語句を選んで、その目次をクリックくだされば、そこに飛びます。

一報は震度6強であり、震度7は志賀町でしたが、志賀町に被害は少なく、こちらを震度7に気首庁

私はテレビが崩れた木造家屋を映すのを見ていて、「あ~、10分の9は震度6強でもなんとか立っている。2000年の木造耐震基準だから、この20年で10分の5は建て替わっていたのだろう。」と、熊本地震2016年の結果と同様に、2000年「木造住宅の耐震」新基準の効果に、建築のプロとして満足していました。

テレビはつぶれた家を狙って映しますが、私は町全体を見ています。2000年(平成12年)以降の新築なら、命は安心です。柱の多いトイレ、洗面所に逃げ込みましょう。
ただし、地震への耐力は一回限りです。繰り返される余震については保証されません。また、雪が積もったら、それも危険要因です。

熊本地震では、木造住宅「新耐震」であっても壊れた住宅があったのですが、よく調べたら金具の使い方に施工不良がありました。それで、大工さんへの教育が改めて実施されました。
また、2000年以降の木造住宅であっても、500年に一度の大地震に壊れながらも潰れなかったのですから、補強改修工事もしくは建て替えが必要となります。

私は阪神大震災1995年を歩いて見に行きました。阪急沿線、山側にある旧家は全く壊れていませんでした。旧家は安普請でありません。伝統木軸構造であり木材も太いです。2階は住むためのものでなく、階高も低いです。
一方、海岸沿いの阪神沿線は埋立地であり、地盤が悪いのでした。木造の住宅建築には杭がありません。地盤の上に置くだけです。建てられた地盤がどうなのか?いや、建てる前に調べましょう。今回も、海岸近くの地盤では液状化がおきました。砂丘の上に建ててはいけません。砂の層が浅い地下水に埋まってあるところが揺れで地盤が液状化します。

阪神大震災の記憶の中では、長田地区の火災現場の臭いが今も一番残っています。私の設計したマンションのすぐ近くまで火は来ていました。地域火災となると、いくら燃えないコンクリート造でも熱気がガラスを割り、内部は完全に燃えてしまいます。地震で倒れなくても、火事を起こせば、もう消防は無力です。地域ごと廃墟です。

一報は4万㎡でしたが、今は5万㎡と言われています。燃えぐわいから見て、消防が最終葛西地区面積を算出します。

「火事を起こすな。裸火を消せ。」は、昔から、地震対応の第一番です。「津波が来るゾ。逃げだせ。」の前に、火元をチェックしましょう。

地盤だけでなく山崩れが心配です。地方の行政は不当な開発行為を暴くことはできなく、熱海では造成地の崩壊が起きました。

「震度7の地震に壊れない住宅にしてよ。」「コンクリートの天守は老朽化している。昭和56年より前の設計であり、地震に耐える建物ではない。木造にすれば1000年もつ。」このような無茶ぶりに答えていた2016年の私でした。まったく、知らないということは強いです。震度7の説明からしないといけないと、長くなるのをいとわずに書いています。専門用語も構わず入れていますが、語句の漢字から受ける感覚だけでよいです。感覚的に掴んでください。

震度は気象庁が「揺れぐわい」を感覚的に表しているものであり、耐震の「地震」を表してはいません。揺れぐわいは、同じエネルギーでも、地震波の周期により、地盤により変わります。耐震設計は地震力を「建物の重さの0.2倍の水平力」に置き換えています。超高層ビルでは、具体的な地震波をコンピュータでシミュレーションし、構造計算をしていますが、木造2階建ての住宅は「仕様規定」※だけで構造計算をしていません。

※「仕様規定」は、第3章第2節にあります。床面積当たりの壁の長さをX,Y方向で決め、金具を多く使います。地耐力 20kN未満・・・基礎杭、地盤改良杭。 20~30kN・・・基礎杭、地盤改良、ベタ基礎。従来、木造住宅で一般的に用いられてきた布基礎は30kN以上。と、地盤状況による基礎が規定されました。

紙に打ち出した方が読みやすいですので、以下にPDFも入れておきます。A4版で18枚と、長いです。建築学会の調査結果「2000年新耐震は大丈夫」は入ってません。

震度階級と耐震設計

はじめ の1 

「気象庁によりますと2016年4月14日午後9時26分ごろ、熊本県熊本地方の深さ11キロを震源とするマグニチュード6.5の地震があり、熊本県益城町で<震度7>の激しい揺れを観測しました。」のNHKの報道に私は大変驚きました。M6.5クラスでも、直下型地震の真上では、気象庁の細かい観測ポイントのおかげで、<震度7>がすぐに捉えられるようになったのか。そして、これは「耐震設計」の説明に困ることになるのだろうな、と同時に思いました。

震度階級は気象庁が決め、建物の耐震性を担うのは国交省なのですが、「耐震設計」は震度階級にリンクしていませんし、一方、気象庁の震度階級では、建物の崩壊をその説明に使っていますので、ニュースで家屋崩壊の写真をみた人は「うちの家は、震度7で壊れないように設計してくれ。」となりましょう。ここでは、うちの家、すなわち<木造住宅>が、キーワードとなりますが、木造による2階建て以下(第三章)には、「耐震設計」という概念も、それを証明するための構造計算もなく、大工さんの伝統工法の中で作られることで長くOKとされていました。

昭和53年に、私は大工さんに2階建ての木造住宅(母父の家)を作ってもらいましたが、コンクリートによる布基礎と、金具を用いた筋交いの入った壁の位置のバランス、通し柱の位置を確認しましたが、昭和46年の規定<耐震基準>ではそこまでです。昭和56年に新たに壁量が規定されました。

はじめ の2

「気象庁によると、16日午前1時25分ごろ、熊本地方を震源とする強い地震が発生した。最大震度は熊本市内の東区や西区、菊池市などで震度6強を観測した。14日夜に起きた最大震度7、マグニチュード6.5の地震よりも規模が大きく、同庁は会見で「今回の地震が14日以降発生した地震の本震と考えられる」とした。マグニチュード7.3は1995年の阪神・淡路大震災と同じ規模。」を深夜に知り、私は大興奮して手持ちの資料をひっくり返し、バタバタ。恥ずかしながら足首をひねってしまいました。私は、今までに多くの方に、構造設計者の代わりに「耐震設計」を説明していたのでした。マグニチュードと震度とが比例しないのでは、また「耐震設計」の説明に困ることになるな、と思いました。

その後も、熊本市では震度6強は続いてあり、同一の建物が震度6以上の揺れを3回も受けていることになります。建築基準法の<耐震基準>で定めた、「その建物が建っている間に遭遇するかどうかという極めてまれな地震、数百年に一度起こる(震度6強クラスの)大地震では、建物は壊れつつも人命を守り、(震度5程度の)建物が建っている間に何度か遭遇する可能性のある中地震には、建物という財産を守る。すなわち、建物を使い続けられるのが目標。」と、今回の地震は大きく違います。

「耐震設計」では、<震度7>は存在しないし、3日の間に続けて震度6強が来ることは想定していなく、この<耐震基準>目標では建物が人命を守れるはずがない、ということになります。

はじめ の3

今朝、4月20日の日経新聞では、「旧耐震基準 全壊目立つ。」「新基準 熊本76%どまり、全国平均82%」と見出しにあり、昭和56年(1981年)の「建築基準法改正:新耐震」以後に建設された<木造住宅>ならば、今回の熊本地震でも大丈夫だ、と受け取れる記事にしています。本来の主旨「既存住宅の耐震補強を進めよう。」ということで名古屋大学の福和伸夫教授もコメントを出したのでしょうが、「耐震設計」を行っているマンションと<木造住宅>とでは設計方法が全く違います。全国で82%もの新基準での住宅があるのでしょうか。日本の住宅の寿命は短く、30年を切っていますので、昭和56年以降に建設された住宅がほとんどということなのでしょうか。ええ、新聞記事は間違っています。耐震について理解しないまま記事にしています。

熊本の被害状況を時間をかけて詳しく調べ※1、国交省は<耐震基準>と「耐震設計」の違いを、正しく国民に明らかにしない事には、<木造住宅>の安全性を高めることはできないと思います。昭和27年に定められた建築基準法の法文は、地震がどれだけあっても変わりません。学者と構造設計者と役人で定める「構造設計 指針」及び施行令によって、国民が豊かになるに合わせ、建築基準法の定める「最低限」が引きあげられてきたのでした。

地震というわからない相手に、科学的に対応できないこともありますが、「工学」としても、建築基準法の「最低限」に胡散臭いものを感じていた、私のこの40年でした。

お客様は「最低限」であっても、その「最低限」が変化していても、「建築基準法を守っておればよい。」として建物を注文していると思っていましたが、建築基準法のあれこれを気にし、「建築基準法を守っておればよい。」としていたのは、実は私の方であったのでした。

このところ、私は「名古屋城天守の木造化は建築基準法違反である。」と論を展開してきましたが、木造化を進めたい名古屋市長はもちろん、議員、役人も、そしてマスコミも、建築基準法なんて気にしていません。建築基準法のもつ曖昧さ、そして、わかりやすく説明できない私にも問題があると、本人は気づいてはいますが、どうも、うまくいきません。

ノート「熊本城地震被害と名古屋城整備」を書いたのですが、やはり、わかりにくかったようです。その基礎的な説明にもなるのではないかと、以上「はじめ」に書いた<震度7><耐震設計><木造住宅><耐震基準>を、今、知る限り並べてみます。

私は<木造住宅>を設計したことはありませんし※2、構造設計者でもありません。今回の熊本地震は建築技術者の内輪だけで分かっている「耐震設計」の科学性を見直し、正しく広めるチャンスだとも思いましたが、私に科学的であると数式で示す力はないですし、また私が行う意味もないので、嫁が理解できる程度の言葉で行うように努めます。 

※1 国庫省がまとめた熊本地震での木造住宅の被害状況です。2000年の「新耐震仕様」の安全性が確認されました。壊れたのもありましたが、金具の使い方を間違えていたであったので、大工さんへの教育の徹底を図りました。

2016年9月 日本建築学会による益城町2340棟(木造1955棟)全数調査による報告、分析
2016年9月 日本建築学会による益城町2340棟(木造1955棟)全数調査による報告、分析


※2 個人住宅のスケッチを描いて、大工さん、工務店に渡すのが現在の私の仕事のメインですが、企画設計と私は承知してまして、「設計」とは言えないと思っています。前職で「設計」した個人住宅は鉄骨造が一軒のみあるだけで、あとは全てコンクリート造でしたが、今の仕事は木造住宅ばかりです。コンクリート造はやはり、値段が高くなりますね。

第一章  震度7

気象庁は、20日に「益城町 16日深夜の地震は、震度6強ではなく、震度7であった。」と訂正しました。まったく、最初からそう言って欲しいものです。気象庁は役所なのです。

第1節 震度階級は人の感覚にあわせた「揺れ」

左の絵は、震度階級とは、地表面を「揺れ」を気象庁は示しているのであり、地表面で震度6弱でも屋上では震度7になるというイメージ図です。あくまでも模式図であり、コンクリート造、鉄骨造、建物それぞれ固有の周期でゆれますので、この数字の通りというわけではありません。

「大きな地震だった。」とは、その場にいる人には、マグニチュードで地震そのものの規模を表す数字より、人の感覚を数値化した「揺れ」の尺度の方が良いと定められたものです。

震度階級はそのようにして決められたのですが、震度6弱となると、立っていることができなくなり、家具も転倒し、恐怖にパニックになりますので、それ以上の震度6強も、震度7も「揺れ」の尺度としてはもうどうでもよくなります。地震の体験車で、一度パニック状態を体験しておくことをお勧めます。

東日本大震災では、東京の超高層ビルは数m動いたという報告もあります。直下型地震でないので周期が長く、加速度も小さいので、家具も人も同時に動きますのでパニックにはならなかったようですが、今回の熊本市街のマンションでは大変だったと思います。熊本城天守の瓦が落ちましたが、隣の小天守の瓦はそれほどでもなかったのは、このことによります。

私は、左の強震5、烈震6、激震7の方がなじみがあります。しかし、家が倒れるのが30%以下なんて、地震の時に、外に出て数えるのでしょうか。

震度7は、1948年(昭和23年)6月28日の福井地震の被害を、震度6では適切に表現できないのでは、という声が上がったからだと聞いています。

ようは、「大きな地震だ!」を訴えるために作られた震度7なのでした。

福井地震では、家屋倒壊率90%を超えた地区があったので、震度7の判定は震度6までとは異なり、気象庁の機動観測班が後日行う実地調査に基づく判定に限られ、具体的には「家屋倒壊率30%以上」などの基準が設けられていたのでした。この場合の家屋とは、当然、その頃の伝統的な大工さんによる木造軸組み工法の2階建て以下をさしています。

「揺れ」の大きさの尺度を、20年前までは、家屋の倒壊によって示していたのでした。一方「耐震設計」は、この15年前の1981年(昭和56年)に定められ、震度7でも潰れない木造住宅にするのだ!が広まっていました。アメリカから入った大判木質パネル工法のツーバイフォーとか、プレハブの鉄骨造の住宅とかが、早かったです。大工さんの木造軸組み工法は、阪神大震災1995年に伝統木造住宅の倒壊による死者が5000人出た後に、「指針」作成に手間取り、2000年(平成12年)になってようやく出ました。国交省が「新耐震基準」を作成してから遅れること、19年です。

2016年4月時点で、気象庁震度階級の最大震度である震度7となったのは4例であり、計測の最大は2011年の東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の際に宮城県栗原市で観測された計測震度6.67の震度7でした。6.5チョイ越えです。熊本ではどうなのでしょうか。

第2節 震度計により、即時、震度階級が発表される事になった。

震度計は気象庁によって、全国670か所に置かれています。他の震度計を含めると、日本には1万台を超えると言われています。

気象庁は体感での「揺れ」を、1994年から機械による自動計測に切り替えましたが、体感での「揺れ」を、機械による地震波のX・Y・Z方向の加速度galの自動計測から算出するのに手間取り、阪神大震災のあと、大幅に見直されました。

直下型の阪神大震災では、818ガルの加速度で震度6強により、大被害を受けたのですが、海洋型の東日本大震災での加速度は2930ガルであっても、神戸のような被害を受けていません。よって、気象庁は、地表面での加速度を東日本大震災以降言わなくなりました。

震度計の設置場所、設置の仕方によってもその地震の加速度と体感が違ってきます。今は、多くの震度計によって、周囲と大きく違う震度計の異常値を排除しています。

重要な事は、加速度だけでなく、地震波の周期が地表面の「揺れ」に関係していたということです。

地震の波形を、一定の振幅で一定の周波数で数秒間継続すると仮定すれば、震度と加速度の対応関係を考えることができます。この仮定に従えば、周期とgal、震度の関係は下記の様になります。

  • 周期1秒の場合:約0.6gal以上で震度1、約60gal以上で震度5弱、約320gal以上で震度6弱、約600gal以上で震度7
  • 周期10秒の場合:約2gal以上で震度1、約200gal以上で震度5弱、約1100gal以上で震度6弱、約2000gal以上で震度7
  • 周期が0.1秒の場合:約2.6gal以上で震度1、約250gal以上で震度5弱、約1400gal以上で震度6弱、約2600gal以上で震度7

地震波によって、どの周期がメインかがわかります。縦軸は加速度(地震の強さ)です。
①阪神大震災⑤熊本地震の1~2秒周期が特に木造住宅にダメージを与える、大きく揺れると言われています。
④東日本大震災は、短周期であり、木造住宅の被害は少なかったのでした。
ただし、地震波も減衰せず東京まで来ると、それは長周期ですので、超高層ビルを揺らしました。

東日本大震災のマグニチュード9は、巨大地震が3か所でずれながら連続して起きたのでそれを一つとしてあらわしたものです。東日本大震災は阪神大震災の600倍の大きさでした。

地盤の固さ、特性を踏まえて「直下型地震波の短周期が危ない。」を説明するに、ちょっと難しくなってしまいましたが、今の気象庁の震度計は、地震波の周期も考慮に入れて、自動的に震度階級を出せるようにしていますので、信じてよいと思いますよ。

もっとも、「海洋型巨大地震の長周期(2秒~10秒)も危ないぞ。」と近年言われています。東海沖地震が東京に伝わると、超高層ビルの固有周期と一致し大きく揺れるということですが、ここ木造住宅では「アッシにはかかわりのない事」としておきましょう。

※ガル(gal)は地震の揺れの強さを表すのに用いる加速度の単位のことです。 1ガルは毎秒1cmの割合で速度が増す事(加速度)を示しています。地球の重力加速度は980ガルとなります。 地震の揺れは、地面に水平に縦、横(南北、東西方向)と上下方向の3方向で解析されますが、近年ではこれらすべてを合成して算出されたものを最大加速度としています。

第3節 震度7の怪しさ

気象庁が、20日に「益城町 16日深夜の地震は、震度6強ではなく、震度7であった。」と訂正したことが「怪しい」のでなく、「揺れ」の震度階級というものは以上のような歴史を背負って生まれたことがわかれば、<震度7>は、すでに起きてしまったことですので、「熊本益城町では、一日置いて、震度7が2回続いた。前代未聞の大きな地震だったのだ。」の感想・評価に用いることぐらいで良いのでした。

言い換えると、震度階級は、遠くにいる人にもニュースで大地震を伝えるのに有効な尺度です。

そして、「震度7の怪しさ」とは、震度7より上の震度階級はなく、震度7の「揺れ」大きさは、計測震度6.5以上無限大までを理屈上さすことになっていますので、建築屋として「震度7相当に耐える。」と言えないところと、相変わらず震度階級の目安に、建物は地震に耐えるように日々進化しているのにもかかわらず、20年前の1996年当時の建物の崩壊状態が使われているところが、「怪しい」のでした。今回の熊本地震よる建築物の被害調査が待たれるところです。

※マグニチュード

地震そのもののエネルギーの大きさを表す指標です。震度「揺れ」とは違いますが、大きなマグニチュードならば、震源地の震度「揺れ」は大きくなり、震源地から遠くまで大きな震度「揺れ」が伝わります。

対数であわわされていることを覚えておきましょう。

マグニチュード7は、6の30倍であり、マグニチュード5の1000倍となります。

益城町の同じ震度7でも、マグニチュードでいうと、「14日の地震の16個分の地震が16日に起きたのだ。16日はとっても大きな地震だったのだ。」と、なります。

大雑把にいって、5未満なら地震の被害はない。5から7未満なら中地震。7が大地震。8が巨大地震。9が超巨大地震です。このように書くと震度と同じような「怪しさ」を感じますね。そう、やはり人の作った尺度ですので、そうなりましょう。

マグニチュードは、通常の地震では「飽和」してしまい、7.3より大きくなることはありません。ですので、16日の地震は最大規模の地震と言えます。「飽和」の説明は、地震波が地表面だけでなく深いところでも伝わるということ、地震波の周期が長くなると減衰しにくく、一つのエネルギーとしてまとめにくいことがあるというぐらいにしておきます。私もよくわかりません。

私は、計算式もよくわかりませんが、東日本大震災の例で言いますと、気象庁マグニチュードを発生当日に速報値で7.9、暫定値で8.4と発表しましたが、発生2日後に地震情報として発表されたマグニチュードは9.0でした。「飽和」してしまうので、算出方式を巨大地震用に変えて、「大地震7の1000倍の超巨大地震が起きたのだ。」です。「気象庁マグニチュード」も一つの尺度ですので、この計算式に目くじらを立てても意味はないと思っています。

第二章  耐震設計

「耐震設計」と<耐震基準>をまとめて説明します。

第1節 昭和56年(1981年)「新・耐震設計」

国交省の現在のホームページから取ってきましたが、これで分かりますかね。これは1981年(昭和56年)に「新耐震」と騒がれたときから、以来35年全く変わりません。私は、今回の熊本地震の調査によって、気象庁と国交省の話し合いがもたれ、多くの学者先生の努力によって、これが変わることを期待しています。どこがおかしいかは、すでに「はじめ の2」と<震度7>ですでに書きましたが、もう一度、ゆっくり進めます。

タイトルは<耐震基準>の概要ですね。「その建物が建っている間に遭遇するかどうかという極めてまれな地震、数百年に一度起こる大地震では、建物は壊れつつも人命を守り、建物が建っている間に何度か遭遇する可能性のある中地震には、建物という財産を守る。すなわち、建物を使い続けられるのが目標。」が、<基準>です。震度5強、震度6強~7は、わかりやすくするためにあとから入れていますが、これらが示す震度階級の「揺れ」は、「耐震設計」のなかには取り入れられていません。旧耐震基準では「震度設計」などと、紛らわしく「震度」を使っていますが、気象庁の震度階級とは全く違うものです。

巷でいわれている「耐震設計がされている。」とは、「1981年以降に設計されている。」と、読み替えてよいです。このとき、日本中で、一斉に建物の構造計算が変わり「二次設計 保有水平耐力計算」がそれまでの「一次設計 許容応力度計算」に加わりました。ただし、耐震設計をしなければならないのは建築基準法に決められており、木造住宅には法的には構造計算を求めていません。

グラフの説明で、直線部分を「一次設計」とカーブ部分を「二次設計」としていますが、これはそもそも何を示す線なのでしょうか。横軸が「変形」縦軸が「力の大きさ」とありますが、これでは説明不足ですね。「壊れ方」を示すグラフなのです。木材、コンクリート、鉄骨など、建築材料は様々ですが、力をうけて「破壊」に至るまでに、材料の「変形」を注目すると、どの材料でもこのようなグラフになります。直線部分(数学用語では線形)は「弾性域」と呼び、カーブ部分(数学用語では非線形)は「塑性域」といます。

弾性とは、ゴムをイメージしてください。手で引っ張ると延びますが手を放すともとに戻る。何回やっても元に戻る「域」なのです。長く引っ張り続けたり、ガンガン繰りかえし引っ張るとゴムは疲弊しますが、中程度(震度5強)の地震ですので、その建物の一生のあいだに、そんなには来ない(数度)として弾性域を定めています。

少し脱線します。日本の建物寿命は短く、国交省の2004年のデータによると約30年です。法律ではコンクリート造建物の耐用年数は50年としていますが、建物の社会性価値が失われると、日本人は壊して新品に変えてしまいます。地震で壊れ、火事で燃えてしまう木造で育てられた日本人ならではの感性なのでしょう。コンクリート造建物の耐用年数はアメリカでは100年、イギリスでは140年ですので、弾性域は30年限定ということではありません。木材での最長は法隆寺の1300年ですが、手を尽くしての事であり、別格ですね。雨風、虫でも木材は傷んでしまいます。以上、ごまかしにかかっているのは、細かくは材料によって違うからでした。

塑性とは、飴をひっぱって、切れる前に留め置いたイメージです。押したり引いたりしたあと、その力のあとがそのまま形に残ってしまう「域」です。飴でなく弾性の材料を建築では用いますので、弾性域を超える力が加えられたが、その力で壊れてしまう(降伏点と言います)前までの「域」です。

この事例は生活の中で目に見えない事象なので理解しにくいですが、実験によって確かめられており、このグラフでは塑性域が小さく示されていますが、弾性域とおなじ大きさの塑性域が、壊れてしまうまでの間にあり、それを活用して、数百年に一度という大地震(震度6強)に遭遇しても、人命を守ることを構造計算によって確かめておこうというのが「二次設計」でした。ただし、崩れないことで人命は守られても、ひずみは残ったままなので、建築物としての財産価値は失われています。いっそ壊して作り直すのか、補強をしてなおも使い続けるのか、いずれにしてもお金がかかります。

ここで「はじめ の2」で指摘した問題にもどります。<耐震基準>によると数百年に一度の震度6強が、たった3日間で3回も来ました。塑性域で持ちこたえた建物を「偉い!」と褒めてあげるだけでなく、「ひずみ」をチェックしないと、今後も安心して建物を使えません。調べてみたら、意外と弾性域だけで持ちこたえていたのかも知れません。なら、「安全率が高かったのだ!」と、安心して住み続けることができます。国も学者も、国民にここをごまかしては今後の「耐震設計」がなりたちません。調査には時間もお金もかかりましょうが、是非やらないといけないことだと考えます。

※下図は、阪神大震災で行われた「鋼構造」建築の大調査の結果です。

画像

「昭和57年以降の建物は、「震度7」の大地震でも持ちこたえた、それも無被害=弾性域でもちこたえたのが、3分の1もあった。」です。「木造」ではないですよ。
このような調査は東日本大震災でもおこなわれましたが、震度6のわりに建物被害が少なく、簡単に「壊れたのは、昭和56年以前の建物、および施工ミスによるもの。」で片づけられています。
このような表でしか、「耐震設計」の成果は証明できないこと、すなわち、地震エネルギーの姿をとらえて「耐震設計」は、されていないことを次節で説明します。

※「耐震設計」を行うべき建物

設計者が構造計算を行い、申請をして、建築主事の確認を得なくてはいけないものを、建築基準法20条で定めています。申請の実態は構造計算のルートが複雑でわかりにくいのですが、大まかに示しておきます。<木造住宅>は4号建築であり、構造計算を求められていません。その代り<耐震基準>に従った「仕様規定」で、縛られています。

1号建築(超高層ビル):高さが60mを超える建築物では技術的基準に適合し、荷重及び外力によって連続的に生じる力及び変形を把握し、構造計算によって安全性を確かめること。(時刻歴応答解析)

2号建築(大規模):高さが60m以下の建築物で、特定構造物では、技術的基準に適合し、荷重および外力によって連続的に生じる力及び変形を把握し、構造計算で、大臣が定めた方法または認定プログラムによって安全性を確かめること(ルート2許容応力度計算、ルート3保有水平耐力計算、限界耐力計算)。

3号建築(中規模):高さが60m以下の建築物で、特殊構造物(石造、レンガ造、コンクリートブロック、無筋コンクリート造などで、高さが13mまたは、軒の高さが9mを超えるもの)では、構造耐力上主要な部分ごとに応力度が許容応力度を超えないことを構造計算で、大臣が定めた方法または認定プログラムによって安全性を確かめること。(ルート1許容応力度計算+屋根ふき材の構造計算)

4号建築(小規模):構造計算不要。仕様規定(建築基準法施行令36条~80条の3)に適合させる。

第2節 一次設計 許容応力度計算

こんな難しげな計算方法について、私は説明する能力を持っていませんし、できませんが、地震エネルギーの姿をとらえることなく構造計算が行われていた、そして、今も行っていることを、歴史をさかのぼって説明します。

地震のたびに、構造計算は変わってきた

明治になって、西洋から煉瓦つくりや、木造のトラス構造の技術が入ってきましたが、1923年の関東大震災では、木っ端みじんでした。もとより地震のない国から輸入された技術でしたので、「日本は独自の耐震設計を行なわなくてはならなぞ、どうしようか。」と、建物の被害状況を調べました。

(地震があるたびに調査をして、耐震性能を引き上げて行くのが、上図のように耐震設計の進化の歴史であり、今回の熊本地震でも同じことを行わなくてはなりません。)

中心人物は佐野利器という建築界の大親分でした。彼が設計した鉄骨造の丸善は火事もあり全壊でしたが、サンフランシスコ地震(1906年)の被災地に日本から派遣された調査団によって、鉄筋コンクリート造の耐震設計法として建物自重に比例した水平力に対して建物が耐えるかどうかを検証する方法が持ち込まれており、その建物が関東大震災で無傷であったのでした。

当時、建物高さ100尺、9階建てまでを前提に、耐震建築に良いのは、重くて固い「剛」か、軽くて柔らかい「柔」か、激論がされましたが、「剛」を選択し、鉄筋コンクリート造の建物に、その建物の重さの1割の水平力を与え、上層階に行くほど水平力は減衰することで、建物が耐えられるかどうかを検証することとなりました。これを「水平震度0.1」の震度設計と言いました。1948年の福井地震で見直しがされ「水平震度0.2」となりました。

鉄筋コンクリート造の選択には、火事に強く、材料のセメントが国産で手に入りやすいということもありました。鉄はすべて輸入ですし、火に接すれば柔らかくなってしまいます。

超高層ビル、免震ビルと、コンピュータの進化によって、地震波を入力してシミュレーションを行い、構造計算をする「柔」が、今や当たり前のように思えますが、いまも、震度5強までの一次設計と、建築基準法20条3号建築の設計は、許容応力度計算の「剛」のまま、手計算で行っています。もう手計算は少なくなりましたので、手計算でもできる方法だと言いなおしておきましょう。そこでは、地震波の姿はとらえていないので、地盤、地域、剛性、偏心などによって、余裕の安全率がみられています。

余裕の安全率は確かにあるのですが、個々の設計ではバラツキもあるので、阪神大震災後のように、大調査をかけ、統計的な処理をして、これから35年前の「新・耐震設計」を見直していかないといけません。

※二次設計 保有水平耐力計算

水平力をさらに2倍、建物荷重の4割をかけて、塑性域で耐えるかどうかと検討します。1981年当時は、これも手計算で行うことを前提としていましたが、今はコンピュータソフトが使われています。塑性極限解析法、極限解析法、増分解析法、部材全塑性モーメント決定法などと名前を並べても、さっぱりわかりませんが、どの計算法を使うかによって得られる保有水平耐力は異なってきます。構造設計者が、その建物の壊れ方までを想定しないといけないので、バラつきが多くなります。よって、これにも安全率が相当程度乗ってきています。

安全側であれば、お客様は「地震で壊れないからいいや。」と、高い安全率を問題にしないかというと、そうではないのです。建築することで金儲けをしたいお客様は建築基準法の「最低限」のレベルでOKとすることを構造設計者に求めてきます。儲けを優先するには、当然少ない資金で「安全」を確保したいですよね。個人住宅でも、見えない構造に余分なお金をかけるより、台所をよくしたり、高価なじゅうたんをひいた方が、喜ばれます。

2005年の姉歯構造計算書偽造事件は、この「儲け優先」の考えの延長で生まれました。そして、震度5強で壊れるマンションを作ってしまいました。

第3節 平成12年(2000年)「限界耐力計算法」

「時刻歴応答解析」という、超高層ビルで使われる地震波の姿をとらえた高度で複雑な動的計算方式を簡略化し、静的計算で導き出せるようにしたものです。やはり、コンピュータソフトを用いて計算します。

姉歯事件の時、偽装された構造計算書にもとづき「限界耐力計算法」を用いて計算したら、なんと、OKとなってしまって、問題となりました。「時刻歴応答解析」もそうですが、高度で複雑な計算をすると、安全率が「正しく」下がるのです。面倒な計算をしたのだから、ボーナスということなのでしょうか。私は良くないことだと思います。

35年前の許容応力度計算と保有水平耐力計算の組みあわせの方が、16年前の「限界耐力計算法」より安全率が高く、今回のように震度6強が3日間で来た場合には、やはり、、、壊れない方が良いですわね。

もはや、この差を安全率という表現でなく、震度6強が建築の一生の間に繰り返しあることを<新・耐震基準>として、やはり、「塑性域で人命を守る。」いや、「弾性域で建築物を財産として保持できる。」という選択肢ができる、一般の方にも分かりやすい新たな構造計算方式が欲しいものです。

2000年に「性能設計」という概念がうまれました。建築基準法は「最低限」で一律の縛りですが、それ以下も条件が付いて、お客様がOKならば認めるという概念です。耐震設計で言うと、震度5強もそんなにないので、「塑性域」も使って、震度5強に耐えようです。建設費が安くなりますが、それではマンションは売れませんし、その程度の安さではうまみがないとされ、「性能設計」は使われていません。

直下型地震は1000年~1万年の頻度で、日本中どこで起きるのかわかりませんが、どこでも起きる地震です。もはや、地震学者は、地震予想の「想定外」と言いません。東日本大震災までは「東海沖地震」など、確率で予測をしていましたが、東日本大震災で懲りました。地震は「未知」といいます。「どこでも起きる」です。

地震予測ができないならば、おのずと建築基準法の「最低限」の意味も変わってきて、その判断を私たちに与えるように、学者と国には努力をしてもらいたいものです。

閑話休題 益城町の被災写真

17日の朝の益城町の写真です。14日、16日の2回の震度7を受けています。左の崩れた建物は築50年以上でしょう。痛ましい写真です。右側一番奥は、2階建てが崩れて1階建てになったように見えます。避難所に向かうのでしょうか、車が出ていますが、道幅が広いのは防災のかなめですね。大震災では火事が怖いのですが、夜遅く、火を使っている時間でなくてよかったです。

阪神大震災で5000人の方が亡くなりましたが、ほとんどが木造住宅の倒壊による圧死でした。今回50人の方が、亡くなられましたが、木造住宅の被害者はどうなのでしょうか。阪神大震災のあと、名古屋で同じ地震が来たら、1万人の犠牲者が出ると名古屋大学の先生が発表していましたが、親の家をそのまま使う子供がいなく、急速に減っているように思います。建て替えだけでなく、伝統木造住宅の良さを生かし、耐震補強をしているかたもいましょう。

正面と、右側の2階建ての建物の水平垂直は、大丈夫のように見えます。屋根は軽い石綿板か、セメント板でしょうか、外壁とサッシュの取り付け方から2000年以降の建物にみえます。新しい建物なら地震に強いのは間違いがないですね。次の章で、その「新しさ」を見ていきます。

電柱が傾いています。電力会社は危険ですので、元から電気を送りません。一週間で電気は回復したそうなので、電柱はよく揺れますが、埋めてあるだけなので回復も早いのでしょう。

名古屋でも住宅街に電柱がありますが、ヨーロッパ、アメリカの町では、最近のアジアでも、都市と呼ばれるところでは電線は地中に埋められています。町の景観も電柱がなくなれば、スッキリときれいになりますので、電気も自由化になりましたので、これを契機に電柱を無くしていきたいものです。

第三章  木造住宅

構造計算を求められていない木造住宅が、どのように耐震性を高めていったかを見ます。

第1節 昭和46年から、昭和56年「新耐震基準」へ

昭和46年(1971年)の「仕様規定」

●基礎はコンクリート造又は鉄筋コンクリート造の布基礎とすること。

これ以前は、柱の下には礎石をおいて独立して立っていたが、地面に近い水平材は、大引きから土台になった。木造住宅の箱化が始まった。

●風圧力に対し、見附面積に応じた必要壁量の規定が設けられた。

昭和56年(1981年)

<新・耐震基準>が作られました。木造住宅においても、「その建物が建っている間に遭遇するかどうかという極めてまれな地震、数百年に一度起こる大地震では、建物は壊れつつも人命を守り、建物が建っている間に何度か遭遇する可能性のある中地震には、建物という財産を守る。すなわち、建物を使い続けられるのが目標。」です。

●床面積あたりの必要壁長さや、軸組の種類・倍率が改定された。(単位 cm/m2)

屋根に瓦が使われなくなったこと、3階建ての1階の窓がちいさいこと、住宅の1階に車を入れられないこと、全てこの壁量が新しい木造住宅の姿を作っていました。

●構造用合板や石膏ボード等の面材を張った壁などが追加された。

壁が地震に効くと認識され、このころから伝統工法の土壁から、合板、石膏ボードに代わってきたので、規定に加えた。。

昭和62年(1987年)

●市街地の有効利用を図るために、準防火地域において木造3階建ての住宅の建設が解禁となった。

平成07年(1995年)

●接合金物等の奨励

第2節 平成12年(2000年) 木造住宅の<耐震基準>

2000年に、1995年の阪神大震災での木造家屋での圧死5000人の反省から、新たな「仕様規定」がようやくできました。昭和56年に定めた規定による新しい木造住宅も、筋交い(耐力壁)が横からの大きな力に耐えようとするため、柱(接合部)が引き抜かれてしまい倒壊した例が続出していました。

●接合部の金物補強、耐力壁の配置等が規定される。

このとき、木造住宅の「使用規定」の全体が見直され、木造住宅の耐震性能が飛躍的に高まりました。木造住宅も、19年遅れて、昭和56年(1981年)「新・耐震設計」(第二章)に、ようやくたどり着いたのでした。

1)地耐力に応じて基礎を特定。地盤調査が事実上義務化に。(建築基準法施行令38条)
改正の要点
  ・地耐力に応じた基礎構造が規定され、地耐力の調査が事実上義務化となる。
  ・地耐力 20kN未満・・・基礎杭
      20~30kN・・・基礎杭またはベタ基礎
30kN以上・・・布基礎も可能

2)構造材とその場所に応じて継手・仕口の仕様を特定。(建築基準法施行令第47条 告示1460号)
改正の要点
  ・筋かいの端部と耐力壁の脇の柱頭・柱脚の仕様が明確になる。
  ・壁倍率の高い壁の端部や出隅などの柱脚ではホールダウン金物が必須になる。

3)耐力壁の配置にバランス計算が必要となる。(簡易計算、もしくは偏心率計算 (施行令第46条 告示1352号))
改正の要点
  ・壁配置の簡易計算(四分割法、壁量充足率・壁率比)、もしくは偏心率の計算が必要となる。
  ・仕様規定に沿って設計する場合、壁配置の簡易計算を基本とする。

それまで、地耐力とか杭などは大工さんには、ありませんでした。

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大工さんのノミを使ったほぞ穴の紙一枚入らない接合よりも、技術の差が出にくい金物が多用されるようになりました。ちょっと悲しいですが、もう伝統木造建築は「宮大工」だけになったようです。「宮大工」さんに個人住宅を頼めるなんて、ぜいたくなんでしょうね。

壁量には、偏心率のなどの計算がいるようになりました。偏心率は、昭和56年の新耐震設計において、構造計算が必要な建物のカギとなる耐震指標でしたが、これが、木造住宅にも適用されることなりました。

地震波は、建物のどちらから来るかわかりません。変形を抑えるためにはバランスの良い建物であることが重要なのです。

第3節 平成16年(2004年)「木造住宅の耐震診断と補強方法」

「はじめ の3」で、新聞に載っていたデータを国交省のホームページから持ってきました。

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「住宅」ですので、木造住宅だけでなく、鉄骨造のアパートもコンクリート造のマンションも含まれています。これは、紛らわしいですね。

そして、今まで見てきたように、<耐震基準>にあった木造住宅は平成12年(2000年)以降でないといけません。これは、国交省が意図的にデータを改ざんしているとしか思えません。

現在の<耐震基準>を満たしていない木造一戸建て住宅が約9割

国は、82%もの耐震化が進んでいるというのに、こちらでは、まだ90%耐震基準を満たしていないとの報告です。どうなっているのでしょうか。ここまでの私の論説を読まれた方はわかりますよね。

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出典:日本木造住宅耐震補強事業者協同組合 「木造住宅の耐震診断に関する調査データ」

「日本木造住宅耐震補強事業者協同組合(以下、木耐協)はこのたび、「木造住宅の耐震診断に関する調査データ」を発表した。木耐協が平成18年4月1日~平成22年11月30日に実施した耐震診断のうち、結果の詳細を把握している1万1,121件について分析を行ったもの。

木造一戸建て住宅の89%、昭和55年以前では96%が現在の耐震基準を満たさず

耐震診断の対象となるのは、昭和25年~平成12年5月までに着工された2階建て以下の木造一戸建て住宅。
診断の結果、現在の耐震基準に適合しない住宅が89.47%を占める結果となった(図1)。

前回調査時(調査期間は平成18年4月1日~平成22年6月30日、1万5,352件)は85.52%で、木耐協では、耐震基準を満たさない建物が増えた原因を「劣化による評点の悪化などが考えられる」と見ており、「住宅をより長く、よりよい状態で使うためにも、定期的なメンテナンス等の実施が必要」としている。

診断対象の住宅を、建築基準法が改正された昭和56年で分けてみると、改正前の昭和55年以前に着工された建物については96.38%が、改正後の昭和56年以降でも82.14%の建物が、耐震性に問題ありという結果になった。

耐震診断の結果を受けて、耐震補強工事を実施した場合の平均施工金額は約148万円で、前回調査時の約149万円から大きな変化はなかった。」

全く、話が違ってきてます。国交省は、木造住宅には興味がないようです。イケマセン。

このような、データが出るようになったのは、

平成16年(2004年)「木造住宅の耐震診断と補強方法」のおかげです。

「必要耐力」と「保有耐力」という構造計算でつかう用語を使い、「必要耐力」<「保有耐力」であればよいという簡単な計算をします。しかし、これは構造計算ではなく、今も「仕様規定」の中の内の計算です。中学生レベルの数学で、加減乗除だけで算出できます。

こちらのホームページでは、素人さんも自分でチェックできますよ、とあります。おためしあれ。http://jutaku.homeskun.com/taishin/

まとめ: 新たな耐震基準

35年前から現在までの<耐震基準>は、

「その建物が建っている間に遭遇するかどうかという極めてまれな地震、数百年に一度起こる大地震では、建物は壊れつつも人命を守り、建物が建っている間に何度か遭遇する可能性のある中地震には、建物という財産を守る。すなわち、建物を使い続けられるのが目標。」ですが、今回の熊本地震では、これを覆す地震、震度6強が3日間に3回も起きてしまいました。

したがって、<新・耐震基準A>

「その建物が建っている間に遭遇するかどうかという極めてまれな地震、数百年に一度起こる大地震(震度6強~7)でも、建物が建っている間に何度か遭遇する可能性のある中地震(震度5強)と同じく、建物という財産を守る。すなわち、建物を使い続けられるのが目標。」とするのか、

それとも、<新・耐震基準B>

「その建物が建っている間に遭遇するかどうかという極めてまれな地震、数百年に一度起こる大地震(震度6強~7)では一回だけ、建物が建っている間に遭遇する可能性の高い中地震(震度5強)には数回、建物という財産を守る。すなわち、建物を使い続けられるのが目標。大地震(震度6強~7)が、複数回来たら、建物は壊れつつも人命を守る。」とするのか、気象庁、地震学者、建築学者の間で、議論されましょう。

35年前の「耐震設計」には、余裕の安全率が確かにあるのですが、個々の設計ではバラツキもあるので、阪神大震災後のように、今回大調査をかけ、統計的な処理をすることが第一です。※1

4月23日の新聞では、「建物の応急危険判定士が、熊本県益城町と熊本市の計3233棟を判定した。結果は、危険が1702件(52・6%)、立ち入る際には十分に注意する必要がある要注意が920件(28・5%)、調査済みで使用可能が611件(18・9%)であった。」なのだそうです。熊本県と大分県を合わせると、1万戸以上あるでしょうが、応急だけでなく、じっくり調査をかけることを望みます。※1

取りあえず、この数字を正しいとすると、震度6強が3回起きているのに、木造住宅の2割は持ちこたえていたということになります。阪神大震災では、震度6~7は1回きりですが、きちんと調べた結果、3割が無傷、すなわち「弾性域」でとどまっていました。

阪神大震災では、地盤の悪さが大きく作用していましたので、地盤調査に基づき、木造住宅でも地盤改良を行うことが、設計基準に入れられました。

そして、<新・耐震基準A> <新・耐震基準B> <新・耐震基準C>とか、「性能設計」の考え方でお客様が選択できるのが良いと思います。

ダンパーで、「揺れ」を吸収する「耐震設計」がありますが、震度6強が来たら、積極的にダンパーが壊れて建物全体を守り、ダンパーだけを新たに交換して、、、今回のように、連続して地震が来ては無理ですね。

※1 国庫省(日本建築学会)がじっくり時間をかけてまとめた熊本地震での木造住宅の被害状況です。2000年の「新耐震仕様」の安全性が確認されました。

2016年9月 日本建築学会による益城町2340棟(木造1955棟)全数調査による報告、分析
2016年9月 日本建築学会による益城町2340棟(木造1955棟)全数調査による報告、分析

こんなところで、まとめとします。・・・はたして、理解できましたでしょうか?
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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