My camera itinerant カメラ自分史

私の絵、カメラ
  1. 「私のカメラ遍歴」なのですけど、「カメラ自分史」の方が63歳の老人っぽくて良いかなとタイトルにしました。(20141206記) 追記20181219 ・1225、もうすぐ72歳になります。さらに追加して、ポンタックのブログにアップです。(20231224記)
    1. はじめに
    2. 一代目:リコーフレックスIII (1950年)
    3. 二代目:トプコン35S(1957年)
    4. 三代目:キャノンデミ(1963年)
    5. 高校にはカメラ部があったのでした。でも、剣道が忙しくて、
    6. 頭でっかちになった、ニコンF(1971年)
    7. 4代目:ニコマート(1971年)
    8. 内藤先生と、プロの写真家・西川孟
    9. 5代目:ニコンFE(1978)
    10. 6代目:オリンパス XA4(1985年)
    11. 7代目:コンタックスT2(1990年)
    12. 9代目:コンタックス T3(2001年)
    13. アメリカ製のカメラ専用バック(1996年)
    14. 8代目:ソニー サイバーショット DDSC-F505k(1999年)
    15. また、フイルムのコンタックスT3に買うことにしました。9代目(2001年)
    16. 10代目:富士フィルム FinePix Z (2005年)
    17. 1,999年から、デジタル一眼レフにいつ買い変えようか。(笑)
    18. 11代目:ニコン D40(2006年発売)を2010年に買う。
    19. 12代目:ニコン D3100 (2012年)
    20. 広角レンズ タムロンAF10-24mm(35mm換算15-36mm)2012年
    21. 13代目:EMOBILE GL07S(2013年)
    22. 14代目:ニコン D5600(2016年発売)2018年
    23. パソコンと周辺機器とのバージョンアップの不適合は、カメラでも起きる。2018年12月25日クリスマス、トップカメラのとの決着は、
    24. スマホ OPPO Reno7A (2022年)
    25. 「私の絵、カメラ」とは芸術でなく、私の記憶術なのですが、私の気分としては芸術の端にはいたいもの。ええ、モデル次第です。

はじめに

私は仕事で写真にどっぷり漬かった時機がありましたので、「私にはカメラは趣味にならない。」と長く思い込んでいたのですが、「そうでもないか。」と思いなおすためのカメラ振り返り話です。カメラに対する今までの思いを書きだし「そうだったっけ。」となれば、そうでもないかの余白も測れましょう。
今、親父を思い出しています。彼は70歳にしてカメラ教室に通い、「新しいキャノンの一眼レフが欲しいのだけど、買ってよいか。」と私に聞いてきました。「そりゃ、腕の悪さはお金で買うしかない。」と私は即答しましたね。その後何回か、私は古いニコマートにポジフィルムを入れて、親父に付き添って東山植物園に行ったのでした。(もう、親父の歳を超えましたね。10年前に書いたものです。)

今年撮影したものです。ポジフィルムはスキャンして全て処分しました。

親父のように、足腰が丈夫で外に出られれば、カメラの性能がどうのこうのではなく老人に写真撮影は良いのですよね。シャッターを押せば、偶然でも良い作品が撮れるかもしれません。その時は中日新聞に投書して「見て、観て。」です。

応接室にりんごの静物画をかけても、りんごの写真はかけません。絵画にはその表現技術において芸術性を高めてきた歴史がありますが、写真は「表現」でなく、りんごの「意味」を見る者に直接投げかけて来ます。おいしいりんごか、まずいりんごかの判断が、その芸術性を観賞する前に心に浮かんでしまいます。

「現実の複製のうえの芸術である弱気」が写真芸術にはついてまわりますが、まぁ、芸術にそんなにこだわらなくても、カメラ(iphonごときものまで含めて)には、その根源として「記録性」があるのですから、写し撮る機械=カメラのどんどんと広がっていく世界を追い続け、カメラ機材自身も写真ならではの大切な趣味性と踏み切り、レンズ沼に飛び込むのも楽しみとしないと、、、、ハイ、言い訳です。

一瞬を切りとったお手軽な写真であっても、長く表現技術を磨いてきた絵画より、意外と重さが備わったりします。その重さを前もって図ってカメラを構える事がカメラ術であり、さらにプロたるゆえんなのでしょう。

写真が、現実の「意味」のちょっとした加工でしかないというのは、それはもういたしたがない事ですが、だれにも、そして私にも、他人様に歓心をさせることも出来ましょう。「ちょっとした加工」で、感心させているプロがいるのですから。

なによりも「ちょっとした」という手軽さがよく、カメラ機材をちょっと整えると、また芸術性が増します。(笑)それによって「見て、観て。」と、自分をさらに表に出せることは、絶対に老人にとって良い事。そして、ニコンにとっても良い事なのですよね。

今はデジタル時代、何枚撮って(失敗して)も、お金はかかりません。(笑)

「60年前は高かった。面倒だった。どんどん良くなった。」と、私の触ってきたそれぞれのカメラでの写真の記録を思い出しながら、カメラを並べて行きましょう。一

一代目:リコーフレックスIII (1950年)

生後7か月の私です。

今も昔も、子供の誕生が高級カメラを購入するきっかけですね。

親父にしては、なけなしのお金をはたいて買ったのでしたしょう。カメラとなればなんでも高級品であった時代に、日本中にカメラブームを起こした¥6800の廉価品なのでした。しかし、一月分の給料でした。

親父は捨てきれなく長く洋服ダンスの奥に突っ込んでいましたので、私は小六(1963)の時、この重くかさばるカメラを「抱えられる。」と無理を言って、撮らせてもらいました。

12枚撮りの6×6のフィルムを底から入れるのですが、これがとても入れにくいのです。また、2眼であるのはピント合わせを楽にするためとの事でしたが、摺りガラスに映る像を上から覗いてピントを合わせるのも大変難しかった記憶です。外光でないと、とてもピントはあいません。

焼き付けにもお金がかかるので、今も残されているのは「べた焼き」ばかりです。この写真だけが6ツ切りですので、親父の傑作なのでしょう。モデルが良かった。(笑)

二代目:トプコン35S(1957年)

ちゃぶ台がダイニングテーブルに替ったのでした。親父がモダンである事を誇った一枚です。

フラッシュを焚いています。一枚撮影するごとに、フラッシュの球は交換していました。
距離だけを合わせれば、その計算により露出には悩まなくて良かったので、室内の写真が増えました。

子供たちを撮るのはもっぱら母になりました。露出計を別に持っていたはずなのですが、母は使ったことがありません。

カメラケース、レンズケースは皮でした。

「トプコール4.4cmF2.8 このタマが良い。」と、親父はいっていましたが、ライカが良いのにきまっています。

ええ、これも東京光学の廉価版でした。陸軍の東京光学(トプコン)は海軍の日本光学(ニコン)と双璧でしたが、随分前にトプコンはカメラから撤退しています。

三代目:キャノンデミ(1963年)

マニュアル露出。セレン光電池による追針連動式露出計を持つ。レンズはキヤノンレンズSH30mmF1.7。ピントは目測。

昭和39年(1964)中学になって腕時計をしています。このときに、ハーフサイズ(35mmフィルムを半分にして使う)の、露出計のついたキャノンを買ってもらいました。オリンパスペンの方がハーフでは先行していましたが、こちらの方がかっこよくてねだりました。以後、親父はキャノン派になりました。

レンズは明るく、F1.7でしたが、ピントは目測でした。明るいレンズで、やや広角でしたので、被写界深度が深かったのでしょうか、失敗は少なかったと記憶しています。(笑)サービス版で焼くのですが、失敗品はお金を払うことなく写真屋さんに破かれていたのが、失敗が少ないことの真実ですね。

高校にはカメラ部があったのでした。でも、剣道が忙しくて、

2008年56歳 の明和高校同窓会で。写真部の松浦から40年経てマドンナの写真をもらって大喜びの私です。

高校に入ると写真部があり、でっかいカメラを持って「交換レンズ」がどうのこうのと、私には凄すぎでした。それで、修学旅行にもカメラを持って行きませんでした。「フン、芸術といっても所詮、機械だよりに写しているだけじゃないの。」です。
一方、絵の方も、中学では油絵を描いていて「冬の生活」の表紙になったりしていたのですが、従兄弟の芸大受験を見ていて「芸術は、私には無理。」と早々にあきらめ、剣道に熱中し、建築設計を志しました。

頭でっかちになった、ニコンF(1971年)

名工大4年生(1971年)になって、建築史の内藤昌教授の研究室に潜り込みました。

当時、研究室で常用していたのは、頭でっかちになったニコンFでした。 頭はマウントと言って、取り外しが出来て、性能アップです。自動露出がメインでの進化でした。

フィルムもロールで買ってきてパトローネに詰めていました。
感度が低くて使いにくいものですが、白黒写真でなら自由に引き伸ばしも出来たので暗室でコッソリ遊んでいました。

ゴヒチ(5×7in版)とは、フィルムのサイズが125mm×175mmと、とんでもなく大きなものですが、先生の美意識から「フィルムが大きいほど色の再現性が高まり、発色も良くなる。」と極まってしまいました。そうは言っても現像は外に出すので、ポジがあがってきた時は皆ドキドキなのです。露出を少し変え、2枚は必ず撮っていました。

中央、内藤先生の後ろが私です。左の助手は6×6のブロイカを抱えています。

屏風とか襖のインテリアの撮影するときなどはもう大変です。先生は黒布をかぶりフィルム前に露出計を指し込み、屏風の前でまた露出計を持つ先輩とやりとりし、照明係の私たちに「ちょっと、右に。」と指示を出します。撮影は6人がかかりでしたね。

4代目:ニコマート(1971年)

まったく、一眼レフを持たないものは研究室におられないという雰囲気でしたので、私も一眼レフを買うことに。先生の「キャノンもいいけどさ、やはりキミ~ ニコンだよ。」で、1974年が私のニコンとの最初の出会いでした。以来、40年です。

35mmPCパースクティブコントロール 煽り撮影は建築に必ずだと言われました。標準レンズがわりでマイクロも買ったのですが、全く使っていません。この35mmPCばかりで撮っていました。これで、水平・垂直が基本と、自らにたたき込みました。

今も捨てられず、当時のマイクロレンズと共にこのニコマートは持っていますが、中央重点測光による露出計の為の水銀ボタン電池がもう売られていませんので、フィルムと共に永遠に休眠です。
ニコンFと違いシャッタースピードも、ファインダーを覗きながらリングを回して決められたので、当時は「軽くて丈夫、扱いやすい。」と言われたのですが、今持つとずっしり重いです。

望遠レンズも学生の時に買いました。ニコンの半額だったので即、タムロンです。色合いどうのこうのより、軽いことが一番です。

1975年4月清水建設入社。新入社員の月給は¥88,000でした。新宿・赤坂・青山・六本木とすぐにお金が消えてしまい、とてもカメラまでは回りませんでしたが、撮影旅行の為に装備品だけはボーナスで買いました。望遠は、三脚が必ず必要でしたね。今はとても担げません。

ズームが実際に活躍したのは、先輩・友人の結婚式でした。それで、ライトの購入です。
スポットが新郎新婦にはあたるので、三脚がなくても手ぶれを心配することなく使えました。

タムロン 70㎜~200㎜ スリックの三脚とジュラルミンのカメラバッグ ニコン純正のライト

日光東照宮です。ポジをスキャンしたのですが、タムロンですので荒いです。
古建築の撮りまくりは、1981年に大阪支店に転勤したこともあり、ますます盛んになりました。ホント、元気でしたね。車でなく電車で移動でしたので、三脚は嫁が持つことに。(笑)

内藤先生と、プロの写真家・西川孟

内藤先生の所には1年しか居ませんでしたが、その後の私の設計者として立ち位置を決定的なものとしました。1980年の私たちの結婚では先生に仲人までしていただきました。

建築写真に対する心構えは、内藤先生と「桂離宮」で組まれた写真家・西川孟さんに負うところが大きいです。土門拳の弟子らしく、この写真集には5年の歳月をかけています。

内藤先生がいう「ブルーノ・タウトを乗り越えるぞ。<永遠なる美>はどのようにして作られたかから読み説き、タウトの感じた<わび・さび>と<白と黒・グリッド構成によるモダン>は間違いであり、平安貴族の雅がコンセプトとして厳然としてあり、設計者は数寄屋を<前衛>として捉えていた。」への理解は当然なのですが、古今集の和歌を歌いながらシノゴ(4×5in判)をセッテイングし、その一瞬を待つ悠然たる彼の後ろ姿にプロを感じました。そして、出来上がったこの写真をみて「そうか、これを待っていたのだ。」と、さらにプロの芸術性に感銘を受けました。写真に人影は全くないのですが、彼のその時の声が聞こえてくる写真です。

その後10年たって、私は自分の建築作品をプロのカメラマンにシノゴ(4×5in判)で撮ってもらうようになるのですが、カメラマンが発見した良い姿を尊重しつつも、「この部分をこのように撮りたい。」と、自分で撮影した写真をみせてハッキリ伝え、さらに「これなら、もう一度こっちからも撮ってくれないか。」と注文が大変多く、私はプロのカメラマンたちにうるさがられるようになってしまいました。
建築はその場に来ないと見られず、空間体験できませんので、建築写真の場で新たな作品・写真を作り出す意気込みでした。これは、カメラマニアの内藤先生ではなく、プロの写真家 西川さんによるものです。

5代目:ニコンFE(1978)

シンプルニコンというキャッチフレーズに飛びつきました。ニコマートより小さく軽いのです。電子化の草生わけです。

絞り優先のオート機能がついていたのですが、同時に購入したPC28は開放F-4の絞り測光でしたので、オートが使えず、開放しっぱなしでパシャパシャ。電子シャッターになり電池が切れるとシャッターが落ちないので、いつも電池の予備を持っていました。
28mmPC は10万円近くした記憶です。ボデイより高いですが、35mmを下取りに出しました。
PCは重く、良く落としましたが、20年使えました。FEは電子回路がダメになり、10年もちませんでした。

ニコマートに白黒フィルム、FEにはカラーポジフィルムと使い分け、レンズはPC28と望遠の2本体制でしたが、外国に行く時は、奮発してASA200のポジだけに。ポジから紙焼きすると1枚100円でしたが、3分の1ぐらいは紙焼きしてアルバムに貼っています。帰ってきてからもお金と時間がかかりました。一日に3本を撮るので、旅に出ると写真代は10万円ぐらいかかりました。

一眼レフ2セットを入れるために、軽いカメラバッグを自作しています。(1979年)タコ糸で縫って、肩かけをつけました。ネコでもいるのではと、空港でいつも止められていましたけどネ。(笑)

6代目:オリンパス XA4(1985年)

1979年に発売されたXAの全身プラスチックは衝撃的でした。その4代目です。

28mm F-3.5 絞り優先オート ¥39,500

最短撮影距離 30センチ ですけど、ピントは目測で0.5m 0.7m 1m 1.5m 、3m  そして ∞

嫁用に購入したのですが、仕事用に私が使う事となりました。デザインがユニークなので飛び付いたのですが、フラッシュを外すと重さも200gぐらいでした。やはり、レンズは甘いのですが、他にポケットに入る高級機となると、ローライ35は沈鏡胴型のレンズで、ミノクッス35はベッド式のためXAほどコンパクトではなかったのです。

そこに、あらわれたのがコレ。

7代目:コンタックスT2(1990年)

レンズ ゾナー 38mm F2.8  最短撮影距離 0.7m 最高シャッタースピード1/500秒 AE絞り優先、及びプログラムモード。

¥120,000円。電源がちょっと重く CR123A

ボディの素材にはチタン、ファインダーカバーガラスにはサファイアガラス、フィルム圧板には京セラのセラミックを新たに採用。レリーズボタンも人工多結晶サファイア。と、値段なりの大人を喜ばせる品質感です。

1995年ですので、私は43歳です。コンパクトカメラの最高峰として、今も中古市場の人気が高いようです。

沈胴式のレンズが、電源を入れるとチタンのカバーがスライドしてせり出すのです。やったね、これは買うべきと。レンズには絞りリング付きで、電源ダイヤルはそのままフォーカスダイヤル(オートフォーカス/マニュアルフォーカス)として機能し、また、露出補正には独立したダイヤルを採用しているので大変操作性にも優れていました。
ニューヨークに行こうとしたら、仕事仲間が「一眼レフなぞ持ち歩いいたら、襲われるぞ。」と脅すので買ったのでした。

オリンパスXA4との2台で行きました。一眼レフはやめました。
これを売ってしまったのは、こちらを買ったからです。

9代目:コンタックス T3(2001年)

コンタックスT2よりも小型化が図られて、¥98,000

レンズ ゾナー 35mm F2.8
最短撮影距離は0.35mに短縮
シャッター最高速は1/1200秒に向上。

T2よりさらに小さくなったのですが、そのために使い勝手は悪くなりました。でも、今も持っています。フィルムなどありえないのでしょうが。

ニコンのPC28mmはやはりかさばりますので、日常はちょい広角のコンパクトカメラでもいいか、でした。20年もたつと、カメラを選ぶというより、どのような形で持ち運ぶのかが重要になってきています。ハイ、歳です。(笑

アメリカ製のカメラ専用バック(1996年)

タムラック tamrac アメリカ製  今のデジタル時代、パソコンが入らないので海外には使っていませんが、手近の撮影会には、コンパクトで良さそうです。いずれ再デビューかな。

ここまで、銀塩の一眼レフとコンパクトカメラでしたが、いよいよ21世紀デジタル時代に到達です。ニコンがD1を1999年に65万円で発売したのは、シッカリ覚えています。260万ピクセルと今にしては笑ってしまうスペックですが、キャノンの200万円に比べてさすが、ニコン。(笑)5年もすれば、買えるような機種になるかと思いました。

それより、興味の対象はパナソニックのビデオ撮影機でしたね。動画は画面が揺れるを抑えるのが大変でしたが、なんとカメラが手ブレを抑えると。オートフォーカスという夢の技術が、ビデオ機の静止画で先に実現しました。それを見事に、カメラとして新たな形にまとめたのがソニーでした。

8代目:ソニー サイバーショット DDSC-F505k(1999年)

¥125,000 と高かったですけど、このレンズだけのユニークな形に飛び付いてしまっていました。

ボディのように見えているところは、液晶画面と電池だけで本体は全て筒状の所におさまっています。ビデオ機からの発想・技術で作られたカメラの革命児と言えましょうが、結局は、銀塩からデジタルに向かう端境期ならではの形であり、消滅しました。

CCDは2分の1inch で、210万画素。A4版に引き伸ばしても十分耐え得る(と当時言われた)1,600×1,200ピクセル。レンズは カールツァアイス(笑)
ニコンの一眼レフにどうにも息詰まり感があり、ニコンFEが壊れて以来一眼を買えなかったのですが、この5倍ズームがあれば、もう重い一眼レフ機を2台も持つ必要がないのではないか!でした。

サイバーショットの色の復元には、大不満でした。

しかし、いろいろな事に気付かされました。フィルムを取り替えるようには撮像素子を取り替えるわけにはいかず、紅葉の赤が全く出ない欠陥撮像素子でした。また、ファインダーを覗くのでなく、液晶だけで画面を切り取るのは日向の明るさでは全く無理でした。

いや、それより、根本的にファインダーを覗く行為は、写真世界の淵に自らを落とす重要な儀式であった事に気づかされました。

ビデオと違い、液晶画面をみての、一瞬を切り取る「集中」は作れないのです。液晶画面を出し続けると電池の消耗が激しいからと、コンパクトカメラでもファインダーを覗くようにと言っていますが、薄くて小さなコンパクトカメラは、持ち方・構え方から液晶画面だけをみて撮った方が良いですね。

「これはカメラではないぞ。」という事で、

また、フイルムのコンタックスT3に買うことにしました。9代目(2001年)

デジタルカメラの黎明期でしたので、無駄な投資を皆さんと同じように私もしていました。しかし、結局、コンタックスT3は何回も使いませんでした。もったいなかったです。

21世紀になると、コンパクトカメラの方は、確実にデジタル化が進んできました。

会社でもパソコンが一人一台になり、携帯電話での写真撮影と送りで仕事が進み始めてきましたので、設計はもうちょっと出力図が綺麗であって欲しいなと、少し高いレベルを求めて、新製品が出るごとに会社で買う事となりました。

いや、しました。(笑)

10代目:富士フィルム FinePix Z (2005年)

CCDは1/2.5型 有効512万画素
36~108mm相当 F3.5~F4.2 の屈曲光学系採用の光学3倍ズームレンズ

2008年購入 ¥25,500

薄さ18.6mmのスリムなカードサイズボディに、2.5型(約11.5万画素)の液晶モニターを装備していて、グッドデザイン賞を得たこれは、今(2014年当時)も引っ張り出すことがあります。これは、今(2014年当時)のスマホについているカメラがお粗末だからであり、次に買い変えるスマホでは、もういらなくなるだろうと思っています。(2015年のスマホ買い替えでお倉入り)

起動が約0.6秒とすばやく、撮影時もレンズ鏡胴が突出せず、フルフラットな状態で使える完璧なポケットカメラです。こうなると、素早いクレードル充電とか、SDカード使用可とかでカメラの差がつきます。

1,999年から、デジタル一眼レフにいつ買い変えようか。(笑)

ニコンが新製品を出すほどに、「まだまだ、扱いにくい。高すぎる。」とブツブツ言いつつ、D70(2004年発売、DXフォーマット<ハーフサイズ>、有効画素数6.1メガピクセルには心動きましたが、ウーン(-“-)30万円です。

ここはニコン30年の経験から、デジタルカメラはすぐに壊れ、また時代遅れになると、しばらくコンデジで我慢して、、、、、

11代目:ニコン D40(2006年発売)を2010年に買う。

2010年4月に土岐のアウトレット・二コン店にての、二本のズームレンズ、カメラバッグ、三脚もつけて、¥60,000に「安い。」と。この衝動買いが私のデジイチ世界へのデビューとなりました。

8年前のニコンD40を今(2014年当時。2018年にD5600の下取りに出しました)も使っています。

私は「素人のカメラ。これでいいのではないか。」と思っていて、すぐに買い買える予定はありません。(キッパリ。2014年当時)

不満はいろいろあります。その最大なものは、セットでついてきたズームレンズの手動ピント合わせです。この値段レべルのデジイチではオートフォーカスが万能に効かないのはいたしがたないと認めますが、切り替えての手動のピント合わせリングが、なんともカスカスで、微妙なところでピントが合わない。これは、間違いなくピンボケになります。

今もキャノンが宣伝するデジイチもピント合わせが売りとなっており、ニコンも気付いているのでしょうがねぇ。思えば、60年前のカメラもピント合わせに一番困りました。

「ピント合わせ」は未来ともに変らないテーマだと思います。視力ではなく、これは脳の働きの事です。タムロンの広角ズーム SP (2008年)ではピントリングもねっとりして、十分機能していますのに。ニコンはいつまでも日本の先頭を走るメ―カーであって欲しいので、安くも基本性能がしっかりしているカメラの開発を願います。

手ブレ補正機構を備えていない事には重い三脚を持たねばなりません。これがD40を待った理由の一つでした。

手ぶれ補整:ボイスコイルモーター(VCM)によるレンズシフト方式 手ブレ補正効果:3.0段※ VRモード:NORMAL  三脚使用時ブレ補正:無し
ニコンFマウントCPU内蔵Gタイプ、AF-S DXズームレンズ
11群15枚(EDレンズ1枚) 画角 28°50′-8°(DXフォーマットのデジタル一眼レフカメラ)FXフォーマット/35mm判換算:82.5mm-300mmレンズの画角に相当。

ピント合わせ:IF(ニコン内焦)方式、超音波モーターによるオートフォーカス、マニュアルフォーカス 最短撮影距離 1.1m(ズーム全域) 335gと広角より軽い。ボディと合わせても800gなのだ。

標準レンズは、AF-S DX ED 18-55mm F3.5-5.6 G Ⅱ
広角レンズ10-24mmを買った今、もう使いません。小さくてとりまわしが良いのですが、レンズ3本は持ちませんものね。これは、手ぶれ補正がついているVR符号と違いGⅡなのでついていません。美人のポートレートなぞ絶対に撮らないのでいりません。モデルはいつも嫁。(>_

12代目:ニコン D3100 (2012年)

有効画素数 14.2メガピクセル 撮像素子 23.1×15.4 mm(ハーフサイズ) CMOSセンサー 総画素数 14.8メガピクセル 
記録画素数
• 4608×3072ピクセル(サイズL)• 3456×2304ピクセル(サイズM)• 2304×1536ピクセル(サイズS)
画質モード
• RAW • RAWとJPEGの同時記録可能• JPEG-Baseline準拠、圧縮率 FIN(1/4)、NORMAL(1/8)、BASIC(1/16)

入門機は500gと軽いのが何より。しかし、14.8メガも要りません。いつもは、ファイン の サイズS で撮影なので、1枚あたり1.8MB。2GBのSDメモリーカードに800枚 フィルム36枚撮りにしたら、撮像素子がハーフなので10本分に相当します。メモリーの容量はネットにつながればクラウドに預けられるのでもう心配ありませんが、電池だけは予備が要ります。カメラ毎に電池も替えられるのが困りもの。コンビニに売っていませんしね。

発売当時は¥64800だったのですけど、2012年D3200発売後に買いましたので¥20000と超安い。動画なんていらないのですが、10分ついています。

今も持っているPC28mmはデジタルにも使えますが、42mm=28mm×1、5ですので、もう広角レンズとは言えません。広角の歪みを認めて、広角レンズに挑戦することを2012年にやっと決意しました。

広角レンズ タムロンAF10-24mm(35mm換算15-36mm)2012年

もちろん、ニコンの純正レンズの半額 ¥60,000で買える、タムロンです。 AF10-24mm(35mm換算15-36mm)  F/3.5-4.5
画角 108°44’-60°20’(APS-Cサイズ相当)         レンズ構成 9群12枚。 406g
最短撮影距離  0.24m(ズーム全域) よって、最大撮影倍率  1:5.1  これは優れもの。フィルター径 77mm であり、普通に感じる大きさで、重さが 406gなのも大変良い。

ピント合わせの機構も内蔵してこれだけコンパクトにできている事は、撮像素子をハーフにしてしまった(APS-Cサイズ相当) ことなのでしょう。
それに、水平、垂直を慎重に出すためには、3脚が必要でした。今は、水平・垂直もPCで直せてしまうので、気にせずパシャパシャ撮ります。

一休の酬恩庵。「小さくてもウチの仏さんは、」というCMにピッタリのお堂です。

1975年の建築史実習旅行で、内藤先生が買ったばかりの15mmで撮影しました。15mmの広角レンズは、三脚が要りました。少しのことで、画像がゆがむのです。に比べてなんと気軽なことか!

13代目:EMOBILE GL07S(2013年)

液晶画面 4.7インチ TFT 1280×720(HD)

メイン 1300万画素  サブ130万画素

静止画 4160×3120

動画 1920×1088

オートフォーカス  電子ズーム

構えにくいし、シャッターボタンもねぇ~。でも、お手軽に撮れて、トリミングも露出も色温度もアプリで出来ます。写真機としてみると全く電池が足りない。Facebookにアップするには、通信が弱く時間がかかります。アプリにデータ量を減らすのがないなぁ。

ガラケーのカメラはカメラに入れてあげませんよ、しかし、2015年以来、スマホ(NEXSUS 6)はコンパクトデジカメに完璧に替わりました。

14代目:ニコン D5600(2016年発売)2018年

D5600ダブルズームキットを購入した。ニコンもZ6、Z7と、ミラーレスを発売しているのにである。しかも、2年前の2016年11月発売の新品なのである。しかし、触ってみて取り回しが良いのだ。

似ていて、ワンランク下のD3500も並んでいたが、液晶が動くのとグリップ感でこちらに、いや、デジイチ初心者の最高級品だから、これにしたのだ。
親父70歳の時に「一眼レフ、買い替えたら。」と言う私です。67歳にしても、買い替えるになんのためらいはありません。2010年購入のD40のダブルズームセット(2006年発売)は、5000円で下取りです。

[話題の1]
カメラ自分史は、写真の記録性と芸術性から始めましたが、記録性が勝っている自分史です。じゃ、これから親父のように老人の趣味らしく、芸術性に目覚め、ヌード撮影会にも行くのか。(笑)いいえ、もう一つ、社会性が写真・カメラについてきたのでした。これに最適デジイチの選択なのでした。
インスタグラム、SNSと言うやつです。私ももっぱら、スマフォのカメラで行っていますが、ちょっと絵柄に物足りません。

今のカメラは電気代だけで済むので、パシャパシャとれるし、紙のアルバムなんて作らず、「見て、観て!」はSNSに直ぐアップできます。ワザワザ、中日新聞のフォトコンテストに応募することなく、クラウドに無料で預けられ、皆でデジタルアルバムを共有する時代になりました。
これにピッタリのデジイチがD5600なのです。WiFiもBluetoothもカメラについていて、ネット社会に簡単に写真を持ち込めるのです。しかも勝手に2MBにデータを落としてくれています。選ばれたお金のある人々の「見て、観て!」であった写真が、ネットにより、社会性・大衆性をもったのです。

老人だからと言って、社会から落ちこぼれてはいけない。と、D5600なのです。ええ、店では、ニコンのミラーレス展示品に老人が群がっていました。

軽さからか、35㎜CMOSのミラーレスをニコン、キャノンも30万円の高級クラスで出しましたが、これから、普及クラスでもミラーレスを出すのでしょう。D5600は、最期の一眼レフとなるかもしれないのです。直接光をファインダーで捉えずして、なんで一眼レフと言えるのか、言えません。覗いて、息をつめての一枚でなくして、100枚の連続写真からコレ一枚を探すなぞ。もっともD5600もできますけどね。

[話題の2]
外観を見るに、オートのダイヤルとシャッターボタンしかありません。昔言われた「バカチョン」のスタイルです。しかし、小さなボタンが14個もあり、OKボタンがデーンとあります。

子供の成長を喜ぶ母親が、子供を撮影するのは、私の母と変わりません。そして、光の勉強などを母親がしないのも変わりません。カメラがなんでもかんでもオートでおこないますと、同梱の操作説明書もペラリ一枚だけでした。操作はニコンのホームページで動画を見なさいです。

なんでも、動画なんだ。読み物は嫌われる! 確かに、私も「名古屋城 漂流!」を読み物でなく30分動画にしたいという欲求があり、D3100では動画10分なので、あらたに買おうと探し始めたというのも書いておかないといけません。

400ページの操作説明書をホームページからダウンロードして読みましたが、小さなボタンを押すことにより、何でもかんでもオートが、全て手作業で指示できます。デジイチ初心者が失敗をしないことを狙ったオートですが、その気になれば、高級機と同じことができます。

高級機とはこれらのマニュアル操作が行いやすいように、ボタン、スイッチが表面にあり、それと堅牢性を高めるために重くなっているわけですが、私は軽さ一番です。
かさばるのはレンズですが、スマフォと違い光を取り込むので、そこは仕方がないと覚悟をしています。初心者用デジイチこそ、私にあっているのです。

露出のオートは、10年前に既にやりつくしていた感でしたが、自動ピント合わせの場合分けが凄く進歩しています。動画を30分撮れるようにしたからでしょう、動くもの、視界の外周のものにもピントが合わせられます。

[話題の3]
ライブビューイングというスイッチがあります。ファインダーを覗くことなく、液晶画面に電子的に表示されますので、ミラーレスで撮影するのと同じです。20年前のソニーのサイバーショットを思い出しました。
買う人は、そうではなく、スマフォ撮影の延長なのでしょう。液晶画面がタッチパネルなのです。映った画像にピントを合わせるところに指を置き、離せばシャッターが下りてしまいます。
シャッタースピードも絞りも、夜景撮影などの設定も、液晶画面のタッチでできます。大仰なダイヤルは使わなくても撮れちゃうのです。OKダイヤルは、写真の編集用には要りますが、もう、過去の遺物となってしまいました。

液晶画面が動くというのは、しゃがんで撮るためかと思っていましたが、スマフォの自撮りと同じことができるいうことで、売っていました。

AF-P DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR
沈胴式なのでボタンを押さないと撮影できません。軽いですが、長くなったのはVR手振れ防止の為なのでしょうか。広角側が18mmですが、10~24mmのレンズをもっているので、きっと使わないでしょう。
9群12枚(非球面レンズ2枚) f3.5は暗いレンズですが、ISOが100から25600まであるのですから、もう、明るいレンズなど要りません。CMOSの性能がカバーしてしまいまいます。
AF-P DX NIKKOR 70-300mm f/4.5-6.3G ED VR
10群14枚(EDレンズ1枚)手振れ無しは、4段階です。最長300㎜ですので、長くはなっています。35㎜換算ですと、450mm。40年前なら、プロ用で50万円はしました。しかも重い三脚がいるのでした。AF駆動時の音が小さく、サクッとピントもあいます。10年の進化ですね。
値段
セットで73800円でしたが、フィルター55㎜1429円、フィルター58㎜3024円、SDカード32MB 2980円、望遠レンズのフード2910円、液晶保護シート802円と、こまごまの合計が、なんと、11,145円と、1万円を超えてしまった。合計8万5千円なので、下取りをひくと、8万円となる。まぁ、こんなものでしょう。

追記 20181225
なんという事か! D3100に、これらのレンズが反応しないゾ。 D3100にも使えると言われ、D5600のダブルズームセットをD40のダブルズームセットを下取りに出して買ったのだが、新しいダブルズーム2本はD3100で動作しないのだ。

D3100と同時に2012年に買ったタムロンの広角はD5600にも使える。古いレンズだけど新しいボデイは認識して動く。コチラは大丈夫だ。

トップカメラに電話をしたら、ニコンからファームウェアをダウンロードしなさだった。新しいレンズを古いボデイは認識しないと。そんなことは売るときに言えよ!と文句をいいつつ、SDカードで、無事ファームウェアのバージョンアップに成功。しかし、やはりD3100では動作しないのである。

再び、トップカメラに電話したら別の人が出て、D3300以降でしか新しいズーム2本に適合しない。私が、店で動作確認しないのが悪い。なんていいやがった。箱に入っていて、店員はレンズを出しもせず、D3100にもこのレンズは使える。と言ったんだぜ。フザケルナ!

トップカメラはカメラ屋でなくなってしまった。中古売り場でD3300が25000円で売られていて、私はD40を、これに変えるか。安いし動画30分も撮れると一度は思ったのだ。しかし、中古のD5600を触るとこっちがいいぞ。中古でも56000円するので、じゃ5000円足して新品とし、14000円払ってダブルズームを買ったのだった。

パソコンと周辺機器とのバージョンアップの不適合は、カメラでも起きる。2018年12月25日クリスマス、トップカメラのとの決着は、

「金の出入り無し」で、D5600のダブルズームを返して、D3100のズームを手に入れることにした。これで、D3100にも当然レンズは使える。おまけで、標準ズームのフードとブロー、5000円分の商品をもらった。以下の2案と共に、3案を考えたのである。店にしては金の払い戻しはありえなく、こうなったのである。

第一案
D3100のボデイを下取りに出して、D5600についてきたズームを使えるように、D3300を買うには、15,000円を払わなくてはならない。しかし、3100と3300にそんな値段の差を感じない。中古の値段の差10,000円がマーケットの評価なのだ。オカシイぞ。

第二案
D5600のダブルズームを返して、ボデイだけを買ったことにして、D40の下取りさせたダブルズームを返してもらうと、お金が15,000円戻ってくる。金額を戻してもらい、少しでも安くするのが目的ではない。ボデイ二台体制を維持したいのだ。

徳川園に、買ったばかりの70~300mmを持ち込んだ。これは300mmで撮影したが、この独特の平板な空間はさすが300mm。

望遠レンズの300㎜を振り錬してみて、今までの200㎜よりもいいなぁ~。ピント合わせのスピードが速くなるのもよい、と悩み、

第三案を求めたのであった。
ダブルズームをD3100に合わせるのである。古いレンズはD5600にも当然使える。

なんか、騙されているような気がして、頭の中で表を作った。D5600のレンズが14,500円なのだから、中古のレンズが24,000円と交換は、私は9500円の得ではないか?であった。
ここで、私は粘って商品で5000円分を手に入れた。D5600のボデイだけを買うと、61,500円というのが、怪しい。ニコンがぼっている。二本で定価8万円のレンズが、セット売りだと14,500円だと言い張るのだ。オカシイ!

中古品価格とニコンのダブルズームキットの値付けのそれぞれが怪しい世界なのでこうなるが、頭の中の表を清書してアップしておく。

いや、いや、私は初心者用のカメラを2年遅れで買っているし、標準ズームはほとんど使わない。望遠レンズの魅力が高まれば、まぁ、いいか。とした。

私は「次の5年後には、D3100を今回買ったD5600よりグレードアップするつもりだ。」と、店員に言ったら、店員は「Zマウントのミラーレスの安いのが出てこよう。そうなると、レンズもすべて使えなくなる。Fマウントの一眼レフも無くなりはしないが、種類は減るだろう。」であった。

ニコマート時代のFマウントのレンズをまだもっているが、もう使いはしない。これもレンズ沼なのだろう。
今も売られている55㎜~300㎜を購入したので、これを使いこなせば、この買い物の価値もあろうというもの。しかし、沼なので怪しい限り。ぷくぷく、、沈むばかりか?

スマホ OPPO Reno7A (2022年)

デジイチの二台体制にこだわったのが、2018年12月。しかし、5年後の2023年には、もう2台体制とは広角レンズをつけたD5600 とスマホになっていた。スマホの進歩は凄い。

レンズが四つ付いている。自分の顔を取る表以外に裏には三つ。

一般レンズ、広角レンズ、マイクロレンズである。望遠は画像が荒くなるがソフトで対応するのでレンズは要らない。
もう、レンズ交換が要らないのが、今のスマホなのである。
「レンズ沼」は、なくなったのである。

OPPO Reno7 A スペック | オウガ・ジャパン | オッポ
ときめき、長持ち。|画面も背面も見とれる美しさ|90Hz対応フルHD+ 有機ELディスプレイ|7.6mmと175gの薄型軽量デザイン|4,500mAhの大容量バッテリー|18W急速充電対応|おサイフケータイ®+IPX8・IP6X防水防塵

「私の絵、カメラ」とは芸術でなく、私の記憶術なのですが、私の気分としては芸術の端にはいたいもの。ええ、モデル次第です。

 デジイチは生で撮って、現像するんだよ。」と、オジサン 。
Developing and Compressing raw data.2012年10月24日FB記今日は、デジイチすなわちデジタル一眼レフを初めて買って、facebookへの投稿に使おうという方にお節介します。いまさらデジタルと断らなくて...

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