オペラ、ミュージカル

オペラ、ミュージカル

71歳にして、yomeと共に金沢の大村さんを訪ねてお礼をいいました。(アイキャッチ画像)
40代、50代の仕事でメチャ忙しい時に、大村さんのコンサートがあり気づかされました。「そうだよ。人生、楽しまなくては。」と同級生と語り、50代には凸凹と平日ゴルフをしました。

オペラ、ミュージカル  海外編

私は日本でもオペラ・ミュージカルを見ています(東京港区で劇団四季の仮設劇場の設計をしました。)が、日本料理は日本で食べないといけないように、ここでは海外だけをアップします。

ミラノ  2019年

もちろん、ミラノでオペラと言えばスカラ座です。スカラ座は、劇場の雰囲気はそのままに、2004年に建築家マリオポッタによる大々的な増改築を完成させました。
そのマリオポッタですが、名古屋のアピタのデザインをしていたのをご存じでしょうか。平成6年(1994年)私が名古屋に来る前に、港区アピタが竣工していました。これは名古屋市の都市景観賞を取得しています。私はこのデザインにを踏襲し、アピタのデザインを3棟しました。彼は陽気で気さくなスイス人でした。

スカラ座の前はいつも路面電車と車の大洪水であり、恐怖を飛び越えないと渡り切れません。劇場の手前のホワイエが、また狭く、そこでたむろはできません。ガレリアの最上階のロビーの方が広いです。それで皆さん、記念撮影はスカラ座前の広場で行う事になります。
マリオ・ボッタが何をしたのかはスカラ座の博物館に登るとわかります。スカラ座には建物の歴史も語れる学芸員がいました。天井桟敷(ガレリア)の入り口は正面とは別に脇にあり、入場時に差別感を味あうのですが、ここに博物館への入り口もあります。

博物館の正面はマリアカラスです。ここでの彼女の椿姫、私でも知っているくらいですので、訪れる人の期待にこたえるには、美しい肖像画です。写真はこういうところに使わないのが文化なのでしょう。

5月29日
6月7日

チケットはネットで買いました。チケットは自宅で印刷です。前もってスケジュール、座席をチェックしておき、発売日時間を待ってパソコンを打ち込むのですが、つながらず、5分後につながると、もう平土間(プラテーア)の良いところは予約済みとなっていました。252ユーロ(2割が税金)と高くても、モーツアルトのイドメネオはここです。1920年初演の「死の都」は、102ユーロのPrima GalleriaのPrima Fila [1列目]のDestra[右]を取りました。Centrale [中央部]は、平土間同様に5分で押さえられています。音がよくて首が痛くならない1列目は絶対です。隣に歌舞伎と同様に「初演は必ず観る。」というミラノおじさんがいて英語で説明してくれました。定期会員制度があるようです。2017年4月から読響の首席客演指揮者をしているコルネリウス・マイスター (ドイツ人・1980年~)の協奏曲も予約しましたが、平土間で102ユーロでした。
ドレスコードですが、具体的にどの程度の服装を求められるかは座席によって異なります。最もフォーマルなのはプラテア(Platea)とよばれるアリーナ席で、蝶ネクタイやドレスなど正装の人も少なくありません。また、そうでない人もスーツなどのセミフォーマルです。それ以外での服装で訪れてしまうと、気まずい思いをします。旅行者であってもワンピースは一枚用意をしておきましょう。

座席の背の青色 英語訳を見ていました
2階バルコニーから、海の神は低音を響かせた。
2階バルコニーから、海の神は低音を響かせた
体 そのもの で勝負するのが女
体そのもので勝負するのが女 5月29日
狭い フォワイエ
奥ゆきのない、狭い フォワイエ 6月12日

Opera Idomeneo イドメネオ

フィガロの結婚、ドン・ジョバンニ、コジ・ファン・トゥツテ、魔笛と、モーツアルトのオペラは聞いていましたが、このイドメネオは知りませんでした。行く期日を決めてからスカラ座のスケジュールを見たのですが、これとまったく聞いたことのないコルンゴルト作曲の「死の都」ですのでガッカリしました。
しかし、1780年24歳の彼がミュンヘンで書いたイタリア語の神話オペラは、海の神の元にいる父イドメネオと王子、王子を競う黒女・エレトラと白女・リア、素晴らしかったです。

Federica Lombardi (Elettra). Foto Brescia/Amisano

王子イダマンテが小男なのはテノールの宿命ですが、舞台で男女の並ぶ姿に笑えます。ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴがうけたのはテノールですのに舞台での押し出しの良さがあったのだと思います。
王子をても遂げられない黒女が歌う恨み節は迫力満点でした。フェデリカ・ロバルデイは29歳、イタリア・ソプラノ期待の星とオペラ通。日本に戻ってアンナ・レトレプコの恨み節を改めて見ましたが、遜色ありません。

わからないのは、舞台中央にある牛頭の骨?です。神の恐ろしさを巨大な骨で表現したとすれば、ギリシャ神話の中で牛に意味があるのか?その上にあがりイドメネオは歌うのでした。記憶を宿に戻ってから絵に残したのですが、空港で動画での宣伝があり、写真に撮りました。

牛の頭だよな~

Opera Die tote Stadt 死の都

驚いたって「これは、ミュージカルかよ。」主役のソプラノ・マリエッタが裸になって踊るのです。
ドイツ語オペラでベルギーのブルージュが舞台です。主役のパウルは2時間、暗い響きで歌い続けます。不協和音がイラつかせます。死んだカミさんを懐かしむところに、姿はそっくりだが奔放マリエッタが現れ、なんやかんやで別れるまでのオペラですが、第一次世界大戦後の世相で大流行りしたのだそうです。
知らないオペラだけに、2013~14年の新国立劇場での公演をユーチューブで見ました。対訳を買いました。ソプラノとテノールのデュエット、マリエッタの歌「私に残された幸せは “Glück, das mir verblieb” 」と、バリトンのピエロの唄と呼ばれる「私の憧れ、私の幻はよみがえる“Mein sehnen, mein wähnen”」は、確かにNHKの新年オペラ番組でありました。

対訳を500円で今も売っています
先週東京に行っていたというミラノおじさん。初演は必ず見に来る仲間たちと。

指揮者 コルネリウス・マイスターによる協奏曲M°

交響詩シュトラウス と 作曲家メンデルスゾーン の何か。もう、何も覚えていません。

この近さで聞きました 歌手がいます
6月12日

ドン・ジョバンニ

街を歩いていてポスターに気づき、ピッコロ劇場に行きチケットを買いました。あのドン・ジョバンニ もこのようにしてあるのでした。ジャズのテンポでした。劇場もこんなんです。
日本で歌舞伎の忠臣蔵をジャズっぽく取り上げることはないですが、哲学者の梅原猛のヤマトタケルを歌舞伎の新作として市川猿之助が取り上げています。ようは、商業演劇ですので客にうけるかどうかです。ギリシャ悲劇から現代音楽まで、アメリカ人もその源はギリシャにあると信じている、この西洋のマーケットの広さに驚きました。

舞台のしつらえは、ナイトクラブでした。これで欧州のどさ回りをしています。
オープン前にこのようにして待ちます。 どうでしょう、7割もはいっていたかどうか。
下がり壁の吹き出し口に ガッカリ しました。外観は良いのに、この建築家は設備を知りません。

ロンドン 2017年

ロンドンは、私世代では断トツでビートルズです。アビーロードで記念撮影をし、ロックの王立音楽院、7000人収容のアルバートホールなどなど、音楽シーンを語るものがいっぱいのロンドンです。

ロイド・ウエーバーは、ロンドンからブロードウエーにミュージカルを売り込み、世界を制しましたが、逆に、アメリカからロンドンに、日常的にミュージカルが来ていました。名の成したオペラ歌手は、メット、ロイヤルオペラハウス、スカラ座を自在に飛びまわります。「日本公演」というわざわざ感のある言葉にさみしさを感じます。

ロンドンならではという意味では、華はシェークスピア「12夜」でした。現地で切符を求めたので、事前に日英対訳を手に入れていなかったのが悔やまれます。

ON THE TOWN open air theatre REGENT’S PARK

日本にいる時から、「バラの季節のリージェントパーク」を見なくてはと、6月8日到着2日目、早々に166haの公園を訪ねたのでした。そこで、「おや、屋外劇場の看板があるゾ。」

5月19日のバーンスタインの水兵さんのミュージカルから、オリバーツイストに、シーザクライシスと9月16日まで、本物のミュージカルが、闇をバックに、迫力の照明とスピーカーの手助けを得て、夏の屋外に集まった人々を魅了するのでした。

まだ夜は寒く空席があると聞き出し、即、チケット購入です。一人45ポンド(6800円)でした。
ダンスがうまい、NYそのものでした。俳優が自ら舞台装置を動かす演出でした。劇場と違い、幕がなく、隠すところがないからです。

NYのセントラルパークは知っていましたが、日比谷ではこうはいきません。隣に日比谷公会堂があります。
鶴舞公園も屋外の舞台で踊る子がいますが、プロではないです。名城公園の愛知国際アリーナも屋根と壁をなくせば良いのですよね。

YARDBIRD at HACKNEYEMPIRE

日本でロンドンの音楽シーンを検索していたら、ローレンス・ブロンリーというメット常連のテノール歌手が主役で「サクソホーンのチャーリー・パーカー」を演じるジャズとオペラの合体があるのいうのです。
しかも、会場ハックニ―エンパイア1901年竣工は小さいのですが、2004年に作り直されなんとも凄そうです。2人で22000円、2列目をネットで買いました。

演技が終わってから、舞台に演出家と俳優が並んで、会場の質問に答えるのが新鮮でした。フェラデルフィアで作られ、ヨーロッパドサまわり公演なのだそうです。日本でも半世紀前にはアングラ劇場があり、私も東京に出てきたからと、六本木に行ったのを思い出しました。

ROYAL OPERA HOUSE

愛の妙薬 L’ELISIRD’AMORE、二人で51000円。椿姫 La taraviata 二人で58000円。日本でネット購入です。

愛の妙薬は、事前にロベルト・アラーニャの奥さんAleksandra Kurzakから、Jennifera Davisnia に代わるとあり、下世話な「夫婦のデュエット」の楽しみが消えたと思っていたら、アラーニャは一幕目で声が小さくなり、2幕目のあの「人知れぬ涙」Una furtiva lagrimaのセレナーデを舞台袖のあんちゃんに歌わせて、真のネモリーノ – 単純で間抜けな貧しい農夫-となってしまったのでした。「金返せ!」と誰も言わず、アラーニャの歌わないしぐさだけに笑い転げる喜劇でした。
この舞台の演出は何年も前からあるようです。ユーチューブで見ました。薬売りが楽しい。

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椿姫の舞台では、ボールルームの前室で椿姫がチヤホヤされて歌うのですが、扉の幅でボールルームが見えており、その向こうでダンサーが踊っているのです。この遠近感に敬服しました。愛の妙薬に比べて人がこれだけ出るのですから、高いのは納得です。

椿姫「La traviata(ラ・トラヴィアータ)」の直訳は「道を踏み外した女」となります。ロンドンのロイヤルオペラハウスで見た、バカノバが演じるヴィオレッタ・ヴァレリーは美しく、死ぬ間際に歌い上げる力強さに感激しました。

しかし、第一場出だしの大舞台は彼女の屋敷での舞踏会なのでした。古典的な演出なので舞踏会の素晴らしさが伝わったのですが、なぜ高級娼婦が伯爵夫人のように屋敷に住み、女中など使用人を使って舞踏会の主催ができるのか。勃興したブルジョアジーに、貴族も存在する怪しい時代なのですが、まったく理解できませんでした。

娼婦とは、アメリカ大陸からの梅毒があり政府は健康管理をしていて②公認娼家の公館の公娼(バラの騎士)と③自家営業の公娼があるのですが、④当然登録をしていない私娼もいて、①同様に登録していないクルティザンヌとかドゥミ・モンデンヌと呼ばれる高級娼婦がいたのでした。

高級娼婦は汚れのある公娼から登るのでなく、スタートからして違うことが大切でした。劇場での端役、踊り子からいきなり囲われ者になるスピード出世もありましたが、今のアイドルタレントが美貌とエスプリで青年実業家と結婚するのもあれば、AV女優としてデビューし、玉の輿に乗れず風俗に転落するしかないのと同様に、不確定なものなのでした。

椿姫のモデルとなった、マリー・デュプレシスの伝記を見てみます。地方の行商人の娘として生まれます。下層中産階級です。飲んだくれの暴力亭主に愛想をつかし、母は娘二人をつれて家を出るのですが、死にます。娘を引き取った父は娘の美しさが金を生むと気づき、自ら娘を楽しんだ後、親類の八百屋に下働き兼お妾として売ります。ここで運を尽きるのが普通ですが、椿姫は逃げだし女工として働くところをレストラン主に拾われ囲われ者になり、それなりに着飾りダンスホールに行き、男たちの視線をひきつけ、名うての遊び人である侯爵の息子アジュノール・ギッシュによって、オペラ座のボックス席にデビューできました。デュマ、ゴーチェ、ジャナンなどの文学者が讃嘆し、ジャーナリズムが書きたてました。彼女はアジュノール・ギッシュの手を離れ、自家営業の高級娼婦として社交界の男たちを手玉に取るようになるのでした。

フォーリー・ペルジェールにあるバー マネ1883年の作品 彼女は娼婦である。私はロンドンでこの実物を1時間見ていた。

関門は二つあります。美貌とエスプリは当然として、

第一に、上流人が出入りする場を与えてくれるパトロンに囲われること。プチブル環境でなくブルジョア環境でないといけない。

第二に、このパトロンを踏み台にして、オペラ座のボックス席、ブローニュの森、上流のサロンに顔を出し、さらに上の貴族的なパトロンに見染らること。

肉体は当然であるが、精神にも磨きをかけないといけないのです。安穏と夫と過ごし、子育てに邁進する主婦と比べてなんと過酷でスリリングな毎日を過ごしているのか、容色は年と共に衰えていきます。

そんな中で、ヴィオレッタ・ヴァレリーは、アルフレード・ジェルモンとの純愛を感じた歌、ソプラノの響きはウソであり、もっとねじれたメゾ、おなじ高級娼婦フローラ・ベルヴォアの方が状況説明にはあっているのだと。

だからこそ、フローラ・ベルヴォアがいて、そのパトロンのドビニー侯爵、ヴィオレッタ・ヴァレリーのパトロンのドゥフォール男爵がいるのですよね。脇役のこのオペラでの仕事がわかりました。

ヴィオレッタ・ヴァレリーの郊外の屋敷にアルフレード・ジェルモンの父親が訪ねてきて、なんとも江戸歌舞伎のような展開になるのですよね。この屋敷の大きな窓からの太陽の光の演出はうまかった。日本家屋ではない光でした。

TWELFTH NIGHT 2017  YARD STANDING £5

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毎日やっているロミオとジュリエットは1か月先までいっぱいでした。空いていたのは、「12夜」だけで、それも平土間2時間半の立ち見です。しかし、たったの5ポンド。青空のミュージカルが40ポンドでしたし、私立の博物館となると15ポンドとります。この安さに「シェークスピア文化を観光客に売る。」姿勢を見ました。

雨模様なので、安いから、途中で出ればよいと思っていましたが、カッパを2ポンドで買い、最後まで見ました。

もうスゴイのなんのって、江戸言葉での吉本新喜劇に、ブロードウェイのミュージカルを足したもので、客は抱腹絶倒。掛け声、拍手。俳優も心地よく、アドリブで答えます。
英語力がないので、シェークスピアを外した笑うタイミングにずれまくりですが、動作・表情が滑稽であり、生バンドのメロディラインもなんとなく古びているのですが、ビートが効き、強烈なのです。

こんな狭い舞台でも、人自身が背景となって舞台が生きています。

兄妹の主役だけでなく、出演者は黒人が半分近く占めていますが、これが顔の違いが分かりにくいです。白人は塗れるし、カツラで自在に変化できますが、黒と髪の毛が短く、差を出すのは衣装しかありません。不利だなと思いました。

隣のお婆さんに、終わった瞬間「ファンキー シェークスピア!」と言ったら「それが、伝統よ。」と、自信たっぷりに切り返されました。

フン、日本の近松門左衛門を知らないくせに。とブツブツ言いつつも、ロンドンっ子のこの400年と比べ、名古屋人の矮小なことを思い知らされました。名古屋人に文化と聞けば、「名古屋に文化はないのだ。」と、平気で答えそうで怖いです。困ったものです。

SOUTHBANK CENTER

新しいホール見たさに、オラトリオ 「ゲロンティウスの夢」1900年初演を聞きましたが、本来宗教曲ですし、舞台装置、衣装もなく、全く印象に残りませんでした。

泊まった前が GURD’S CHAPEL

貧しい旅行者に、教会で無料のコンサートが開かれるのは、昔のベネチア、ザルツブルク以来知っていますので、教会見物のたびにパンフをあさります。
演奏したブラスバンドは、バッキンガム宮殿の前で毎日演奏している人たちの中のエリートでした。

ニューヨーク 2014年

メットは日本でネットで買いました。
●フィガロの結婚 ORCH一階席の真ん中$200×2=6万円。
●魔笛 DRCIRC4階バルコニー席1列目$170×2=5万1千円。
●マクベス DRCIRC4階バルコニー席一列目$227×2=6万9千円。
マクベスが高いのはアンナ・レトレプコかな?魔笛は昨年と同じ演出であり、王女は新人でした。

ミュージカルはあのタイムズスクエアで、半額狙いです。いずれも二人の金額です。
マンマミーア $150(22500円)
●ジャージーボーイズ $207(32000円)
●ワンス $183(27000円)
全く、値段なんてその日次第です。売れないとドンドン下げます。従って、デズニー(ウイキッド、アラジン、ライオンキングなど)のミュージカルは人気なので見ていません。
日本ですでにwowowを見ていた魔笛、これが一番楽しかったです。モーツアルトの音がやはり楽しく、舞台仕掛けも豊富で、夜の女王も期待通りでした。

4階席でしたが、一列目であれば、このように全体が見えます。馬蹄形のオペラ劇場は、プライスと共にある見やすさです。

一方、ベッドで歌うレトレプコは熟女で、マクベスのお話は暗い。フィガロの結婚はズボン役でなく、堂々とした夫人次第だと感じました。ミュージカルではワンスに感激しました。哀愁おびたメロディが心に残ります。
●コンサートホールは、NYフィルのニールセン5番、6番を3階バルコニー席で聞きました。

1階でしたが、オーバーハングの下近くで見にくかった。
全体が見えて、声も通るし、確かにツウが年間契約する席です。

エスコートする女性に、豪華なネックレスを一晩だけ借りだすなんて話、ありえるのか?でしたが、嘘ではないな。と、思ったメットでした。金持ちは、そういう楽しみ方をするのですよね~。

NY LIfe 15,Oct  Anna Netorebko in MET OPERA: MACBETH とてつもない声量で、劇場の空気をやぶるアンナ・ネトレプコ。

軽妙でおどろおどろしいベルディの序曲が終わるやいなや、ベッドの上のシーツががモゾモゾ動き、胸の次に顔出し、(^O^)スリップ姿で高音を出し始めると、ザリザリと劇場の爺様婆様を掴み取ります。さすがに、すぐにガウンを羽織りましたが。

美人で売ったアンナ様、47歳となりそれなりに貫録をましてウエストがなくなった今も 年寄りにウケますです。確か、、髪は黒々としたロシア娘で、顎のラインは、、、、まぁ、いいか。デボラ・ボイトも、このぐらいの太さでしたね。いわゆる脂の乗り切った演技。

ダメなダンナを叱咤激励する姿も、この貫録で押し切ります。ザリザリと響かせる高音は50人の合唱のなかでもすぐわかります。アルトを加えた四重唱でも、引っ張りますねぇ。しかし、私が唯一知っていたような?曲、宴会での歌などは澄んだ美しい声です。イロイロも出せて、さらに個性で勝負なんだなぁ。

歌が終わったと、、、筋と関係なく、旦那を引っ張りたおして、くねくね足を動かします。相手役が立っていて彼に話すシーンだと字幕では思うのですが、彼女一人が舞台で歌います。まったく歌うところはなく、アルトとバリトンの掛け合いの後ろでそろそろと椅子の上を歩くだけですが、客の視線はそちらに行きますよね。

フィガロの結婚の伯爵夫人、魔笛の女王にその娘、ソプラノもいろいろあるんだ。と、連続して聞いて初めてわかる私は初心者です。マクベスのオペラは初めてでした。

ベルデイはこれだけ男性歌手を集めて男臭く、血ノリべったりのオペラを作っているのですが、終わってみるとただただアンナのためのオペラと思う次第。昔々観た福田演出300人劇場のマクベスのあらすじしか頭にありませんでしたので、ベルデイオペラの進行に驚き、またアンナに感激しました。チャンチャン♪

以上、12時にアパートに戻って、、もう深夜の1時です。梅干雑炊と卵焼きを食べながらのレポでした。

ナポリ 2005年

南イタリア周遊19日間ですので、ナポリのサン・カルロ劇場(Teatro di San Carlo)1737年を見ないといけません。1400席と少し小さいです。3階のボックス席 「パルコ(Palco)」に5人でした。
現地調達のチケットですので演目は選べません。オペラはやっていなかったのですが、ベルリオーズのロミオとジュリエット というオケに独唱、合唱と大規模なものを聞きました。一人60ユーロ。

サンタルチア湾に面するレストランには、流しの歌手が来ました。勤続30年のお休みで、「なるほど、イタリア人はAmore,Mangiare,Cantareで、人生を楽しく生きるのだ。」と知り、「50を過ぎたんだから、仕事にぼわれないように、楽しく過ごそう。」と思いました。

ミュンヘン、ハンブルク 1996年

44歳にして、はじめてオペラを見たのがここミュンヘンでした。今でも、舞台のシーンを覚えています。ええ、歌はサッパリですが。

Die Meistersinger von Nümberg マイスタージンガー

ドイツについたあくる日、半日ミュンヘンバスツアーに参加したのでした。バイエルン・ナショナルシアターの前でガイドが言うのです。「今日は、人気のマイスタージンガーです。4時過ぎに余った当日券を売るので、挑戦してみたらどうですか。」と。真夏7月28日にオペラがあるとは知りませんでした。
マイスタージンガーなら確か歌合戦で、ドイツ人の国歌と言われているんだから、楽しいだろうな。と、ビアガーデンでしこたま飲んだ後に行くと、「2階のバルコニー席最前列中央、一番高い272ドイツマルクなら、二席並んであります。」ロイヤルボックス席じゃん。

「ええい、買おう。たかが2万円でないか日本では2倍はするぞ。」と酔った勢いでした。ホテルから歩いて20分ですが、yomeに「5時開演の前に着替えないといけない。」と言われタクシーに乗りました。時差ボケなのに、こういう事には気が回ります。

幕が閉まり、カーテンコールがあり、皆さん席を立ち、外に出てしまいました。「あれ?あの合唱なかったけど、7時だから、終わりかぁ~」とみると、シャンパンを飲み、モグモグと食べているものがいる!「そうだよな。2幕があるんだ。」が、甘かったです。3幕あり、5時始まりで終わりは11時と、6時間のオペラでした。チャンチャン♪
時差ボケで、二人とも最前列でコックリコックリ。よく寝れた6時間でした。結局、2幕目の後にビールを飲んだだけの晩飯となりました。

ホテルに帰ってから、起きていたところを思い出してスケッチをしました。20マルクで買ったパンフが助けてくれました。1868年ルートビッヒ2世を迎えて、ここで初演されたので、夏のミュンヘンオペラ祭りには絶対の演目なのでした。ザックスはワグナー自身なのでしょう、最後の合唱は観客席も総立ちで歌うのでした。
第1幕(全3場):聖カタリーナ教会の内部
第2幕(全7場):通りに面したポークナーとザックスの家の前
第3幕(全5場):ザックスの工房(第1場 – 第4場)―河畔の広々とした野原(第5場)
もう、これはたまりません。次の30日のオペラはドン・ジョバンニです。これなら、短い!明日も4時前に並ぶと決めました。

Don Giovanni  ドン・ジョバンニ

当日売り、DM252 昨夜とおなじ Balkon links が開いていました。

ドイツ語のパンフでは全く読めないので、英語で探しました。「オペラは演出の時代だ。」とあり、その先頭走る演出家ピーター・ジョナサスが英国からミュンヘンにきて、この赤と白と黒の舞台を作ったのだとありました。舞台装置として具象的なものはなく、だけに具象装置としての一番の驚きは、最後に騎士長がまたがって表れた白馬!!うるさい音を聞かされているのに、おとなしいものでした。

このような舞台は、模型を作るのだとオペラ座の展示で知りました。照明をどう当てるのか?これも模型の上での検証があるのでした。
歌手は見た目です。27年を経た今もそのシーンは鮮やかに覚えています。

ドナ・アンナ Sally Wolf デブのソプラノで、騎士長の妻をドン・ジョバンニが寝取ったと思ってみていました。一幕最後の白のネグリジェ姿での彼女の独唱に会場からは割れんばかりの拍手でした。地元の華なのでしょう。
ドンナ・エルヴィラ Amaonda Roocrft しっとり美しく、ドン・ジョンバンニを追い続ける。こんな女性を捨てるなんて、許せない!と思わせる美人でした。27年後の今は、すっかりSally Wolf ですが。

ツェルリーナ Alison Hagley おきゃんで新夫をだまして、ドン・ジョバンニにくっつくしたたかさも持っている。背は低く、胸を強調した衣装に堂々たる態度、これまた良い。
マゼット Maurizio Muraro テノールのチビバカぶりをいかんなく発揮。

レポレロ Reinhard Dorn 動きも軽やかに生き生きと楽しい。シャンパンの歌をドン・ジョバンニと寝転んで歌う。客席からはごろごろ回転する彼らの靴の裏しか見えないのだが、その裏が「真っ赤」!
ドン・ジョバンニ William Shinell ちょっとかすれた感のあるやわらかいバリトンが、最後の場面のすごみ、悲劇臭、サタンであることへの「俺流」が現代的に表現されていました。ねっとりしたドン・ファンだと思っていたのですが、潔さを見せる地獄行きでした。

右端の騎士長は銅像なのです。銅像らしく白塗りです。歌舞伎なら聖人の役ですね。

ニューヨーク 1995年

43歳にして、ようやくニューヨークです。

アメリカには結婚後すぐに自前の金で西海岸からダラス、デンバーと中西部を回り、会社からの指示で38歳でしたか、商業施設行脚にミネアポリスまで行っているのですが、ニューヨークには縁がなかったのでした。
名古屋に転勤したので、もうお盆休みに実家を訪ねる必要もないと、8日間ニューヨークだけの旅でした。

チケットは日本でとっていました。インターネットがなく、エージェントの時代でした。初日のブルーノートもツアーでした。送迎付きで一人98ドルはどうなんでしょう。

The PHANTOM of the OPERA オペラ座の怪人

ニュヨークならブローウエイ。見るならオペラ座の怪人と、日本で決めてチケットを購入していました。品川で劇団四季の劇場を造ったばかりでしたので、そうなりました。メットの内部見学ツアーにはいきましたが、こんな真夏にオペラはやっていません。

夜道をホテルまで歩いて帰り、怖かったです。晩飯はルームサービス(ローストビーフサンド、シャンパン)ですませました。デイナー&ミュージカルというツアーがあったのですが乗らず、そのレストラン「レミ」には、あくる日に嘉村に連れて行ってもらいました。古田本部長が座った席だといわれてもね。当時の清水建設NY支店は、ロックフェラーセンターにあったのでした。バブルの煙がまだ立っていたのですが、すぐにアトランタに引っ込むことになります。

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