昭和橋学区は小学校中学校が一校づつであり、280人が9年間一緒に過ごしたので、大体全員の顔は覚えていますが、名前は怪しくなります。自分中心でまとめます。
2016年平成28年(64歳)第4回同窓会用に高橋が作ったネタ

同窓会役員から「あの頃、好きだった。」ネタを頼まれて、プリゼを用意したのですが、私の提案は役員の採用には至りませんでした。しかし、クラス幹事から写真を集められたので、もったいないとここに掲げます。
前振り:12時から45分まで繰り返し流す








明治40年、1907年の名古屋の地図を載せます。中川も昭和橋東の八幡社も「百曲街道」と共にあります。中野外新田が中野新町、中島新田が中島町となりました。中川運河は昭和5年に中川を拡幅し整備したものです。
「百曲街道」とは、熱田宮の宿から桑名の宿に至る七里の渡しに代わる陸路としてあった東海道の脇街道でした。古代からあった「津島街道」が、津島の川湊が土砂で埋まり、川湊が津島から佐屋かわって「佐屋街道」になり、さらに南下して弥冨になります。
正保3年(1646年)徳川義直が国奉行に命じて慶安2年(1649年)に完成した「熱田新田」とその北の中野新外田との間の堤防の上を街道としたとあります。東海道は、この「百曲街道」に沿って熱田の南から作られ、国道一号線となりました。
地図の明治時代の「東海道」とは、現在の「東海通り」です。東海道から国道一号線とはなりませんでした。
















本編











クラス幹事が持ち寄った写真




























