「都市文明」を誕生させたホモ・サピエンス、これを維持できようか。

都市の論理

猿人、原人、旧人、新人の危機

人類は、猿人、原人、旧人、新人への段階的進化をとげ、今にいたる。これまで絶滅した種は20を超え、現存するのはホモ・サピエンスのみである。ヒトはこれまでも多くの危機や逆境に直面し、それに適応してきた。

ヒトが直面した最初の危機は、熱帯雨林の縮小により森からサバンナに出たときであった。直立歩行を始めた猿人は、多産能力を高め、食物の分配、共同保育を行うことで弱みを強みに変えながら進化した。

次の大きな危機は、260万年前に始まった氷河時代の寒冷化と乾燥化である。原人の一部は180万年前にアフリカを出てユーラシア大陸に拡散した。新たな環境に対して石器を用い狩りを行い、季節を問わない排卵により、脳の小さい状態で子供を産み、子供の身体の成長を脳の発達に合わせて遅らせ、長い保育期間を共同保育で補った。

アフリカにとどまった原人は旧人に進化し、脳をさらに大きくし狩猟技術を高めた。50万年前にアフリカを出て寒冷の地に適し旧人ネアンデルタール人となった。

20万年前に、新人ホモ・サピエンスが誕生し、6万年前にアフリカをでる。家族だけの集団である旧人ネアンデルタール人より社会性を持っていたホモ・サピエンスは食物を分配し、肉食を増加させ、火の仕様と調理によって離乳食も用意できた。

ヒトは様々な逆境を乗り越え世界中に移動拡散し人口を増大させた。すると、今度は、人口増大による食物不足という新たな危機が生れる。

狩猟から食糧生産(農耕・牧畜)へ、権力が都市を作った。

ヒトはこの危機を食料生産革命=農業によって乗り越えようとし、12000年前には、農耕・牧畜を開始する。これは定住生活へのシフトが伴うもので、それによって大きな集落社会が形成された

これが、今度は人口爆発という新たな危機をもたらし、集団の固定化と社会の複雑化、それらに起因する集団内、集団間の様々な軋轢という、これまでとは異質の新たな危機=戦争を生むことになる。
弥生時代、稲作によって食料生産が安定すると、集落は環濠城塞を作り、集落を防衛する。

乾燥化などの気候変動による影響も加わり、農耕・牧畜の巨大集落は短命であった。

この逆境を乗り越えようと、西アジアの考古学データは、集落の規模を小さくしながら、灌漑設備や大型穀物庫を作るなど、生業と集落運営の仕組みを高度化した。

この再編成された集落が古代文明へと繋がっている。農業の定住社会と集落の周辺を家畜を引き連れながら移動する遊牧社会が、実に相互に依存しあうことで、人口爆発の逆境に適応した。メソポタミア、エジプト、中国の古代文明はこうした社会の可塑性、重層性をベースにクニを作り、農業を支配する王の為の都市を作った。

古代国家が生れ、都市空間のなかには広範囲な交易を含む経済活動、複雑な階層社会が積み重ねられ、集団内の権力争いにより、遊牧民からの攻撃により、崩壊する。漢の終焉は220年、ローマ帝国の終焉は476年である。

日本にあてはめよう

青森の三内丸山(さんないまるやま)遺跡は、今から約5900年前~4200年前の縄文時代、新石器時代の集落跡で、豊かな自然からの採集が容易であり、長期間にわたって定住生活が行われていたが農耕はない。

吉野ヶ里遺跡は、紀元前4世紀からの50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落であり、稲作を行い、集落どうしで戦争があった。3世紀には倭の国に連合国が生れ、邪馬台国が出て、中国に冊封を求める。6世紀になるとヤマト国がクニとして倭の国を統一して、8世紀に中国の長安から律令と都市計画を得る。

日本には、農業のまわりにまとわりつく牧畜民はなかったが、四大古代文明に遅れる事3000年を経て、平安京という都市が初めて作られた。794年。平城京はお試しであり都市として固定されなかった。

中世の京都は、古代都市・平安京の5km四方を規模を小さくし、2kmの間に上京・下京として残った。

農地の開発者(武士)が権力を持つ

公地公民、租庸調の制度は、農地がもとより足りなく、すぐに「墾田永代私有令」が出された。
日本では、関東の武士によって、ミヤコ社会は潰され、12世紀になると新たな都市、鎌倉が生れるが、まだ武士の定住する都市は全国にない。権力を持つがミヤコ以外に都市を必要としなかった。

17世紀になって、城下町という、新たな都市の形を全国に150も一気に作った。農村からの税で生きる武士団が定住し、都市民となる。天守は町のシンボルとなった。

中国や欧州と違い、日本の都市は城壁を持たない。織田信長は美濃を攻めるのにまず井の口の城下を焼き、浅井長政は秀吉の攻撃の前に自らの城下町を焼いた。木造の都市は火に弱い。

産業革命、工場都市・住宅都市の誕生

18世紀の産業革命が、新たな富を都市に生み、ヒトを養った。工場が都市に作られ、その工員は、農村から都市に流れ込んだヒトだ。富は食料に置換されヒトは生きていける。奴隷、プランテーション、肥料により、食糧生産を引き上げた。

農業から工業の転換は、日本でも19世紀にあり、1945年、戦争で負けた後も、日本の工員は都市の中で健在であった。空襲にあい、日本は都市の不燃化を誓った。

21世紀になると、重厚長大な工業より、情報が都市の力となる。工業がなくなったのではない。農業もなくなっていないのと同じで、工業では世界を支配できないだけの事である。今の中国・広州をみると情報の力の勢いがわかる。都市がヒトを養う新しい姿だ。日本は立ち遅れてしまった。もう回復は無理だろう。

巨大都市が生き残るには

ヒトはこれまでも多くの危機や逆境に直面し、それに適応してきた。しかし、これからの都市の巨大化は、同時に地方都市の衰退を伴う。なら、地方は農業地として生きるか、工業地として世界と争い生き残るか。

ホモ・サピエンスは自ら作り出した新たな危機に対応していかなくてはならなかった。そして、それがまた新たな危機を生み出す。その循環は今も続いている。

巨大都市は、ウイルスに弱い。

集団内の、集団間の争い。差別・抑圧。科学技術の進化が生み出す原子力問題。富の占有が生み出す経済破綻。自然災害の増大、人災化。パンデミック。地球環境問題。と、ホモ・サピエンスの適応力が試されている。

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